2010年12月30日木曜日
Actes du colloque
この夏のソウルでの国際比較文学会世界大会の Actes du colloque のための原稿を書く。1月が確か締め切りであったはず。『狂気の〜』上梓後しばらく(風邪やら何やらのため)ぼうっとしていたが、またまた少しずつ、「学問的」興味が動き出す。
釋迢空
富岡多恵子『釋迢空ノート』を読む。迢空の執心の強さに感嘆。自分に真面目な人だったと感じる。迢空詩の美しさもなつかしい。そしてまた、大阪をよく知らなければならないとも思う。そして、当麻寺も。高校の修学旅行で高野・柴田・某(おお名前を忘れてしまった!)と京都市内の宿から近鉄線に乗ってひたすら南下し、日暮れてその行を果たさなかったのを思い出す。今の勤め先は京田辺(新田辺)なのだが、時々その時のことを考え、ここを通ったはずだと思い、何の巡り合わせかここに自分はいるのだろうと思う。
2010年12月28日火曜日
フランス人の
フランス人のシューマン論。ブークールシュリエフのはスイユのシリーズ物の、いわば vulgarisation だから論外(つまり、きちんと書けている)としても、マルセル・ブリオンもミシェル・シュネデールも、学術書というよりは単なる読み物だね。何の意味があるのかと思う。フランスの知識人には、これは多分フランス高等教育の悪い面が出ていると思うが(何でも dissertation の)、何についても一応それなりに読めるものを書けてしまうという人が余りに多い。ジャック・アタリなんかその典型だ。何となく面白く読まされてしまうが、何の深みもなく、表面的で、読んだ後何も残らない。それとまた、関係あるのかないのかわからないが、フォーレがフランスのシューマンだ、みたいな先入観があるということもある。
2010年12月27日月曜日
読売新聞
ところで、昨日26日(日)の『読売新聞』紙上、片山杜秀さんが「今年の3冊」のうちの一冊として拙著『狂気の西洋音楽史』を挙げてくれたそうです。ありがたいことだ!そしてまた、他の一冊が大里さんの『マイナー音楽のために』であって、彼の著書と並んで評価されるのは誠に光栄である。そこには、80年代フランス思想の影響うんぬんということがあったらしいが、確かに!ぼくたちは二人とも、その思想圏のまっただ中にいたダニエル・シャルルの弟子なのである。
季節外れ
夜香木が咲いた。まったく季節外れで、以前から蕾はつけていたのだが、そのまま落ちてしまうものが多かったので、これは咲かないかなと話をしていたのだった。その話を聞きつけて、「なにを」と発奮して咲いたのだという意見もあったが(?)、これは恐らくここ二三日急に寒くなって暖房を点け続けて、室温がずっと暖かいまま保たれていたのが原因ではないかと思う。
しかし、残念なことにまたまた風邪を引いてしまって余りよく香りを感じないのであった。うむむ……。
2010年12月25日土曜日
クリスマスイブ礼拝
ゆうべはクリスマスイブ礼拝。子供たちの「寸劇」がなかなか可愛くてよかった。大勢の人々が集まり、ともかくもみなが元気でいるというのが大事であると思う。(というのも、小学校の同級生が突然にガンで亡くなったという話を聞いたからだが……。)
2010年12月23日木曜日
2010年12月22日水曜日
Réification de la musique
Réification なのか、あるいはもっとわかりやすく、chosification なのか。ドイツ語では何でしょうか。ちょっと調べたら、Versachlichung とか Verdinglichung というのだな。ということは、Musikversachlichung とか Musikverdinglichung とか、すごい言葉になるのかな。あるいは、Versachlichung von Musik とか?冠詞はいらないのかな。
音楽の物象化
「ぶっしょうか」というのはすぐには変換されないのですね。それほどまでに、まだ市民権を得ていない言葉なのでしょうか。さて、音楽の物象化です。本日、大学研究所からCDへの出版補助申請を却下するというお達し。つまり、書籍などの出版助成では、まずその書かれたモノはすでに存在し、それを書物というモノにするのに助成金を与えるのである。しかし、CDの場合は、録音作業までが助成金申請されている。これはおかしい、と。CDの場合でも、もう「出版」されるモノがすでにあって、それをCDというモノにするのだったら助成金を出してやってもいいだろうが、という論理です。だから、結論は「却下」。しかし、音楽をやっている人間に言わせれば、それは音楽をモノ扱いしている。もちろん、CD録音というのは言わば音楽をCDというモノにしているのではあるが、その内容までは「まだ」モノとしては扱っていない。それを研究所の人間はそれまでをもモノとしろ、と言っているのである。いやはや。これは、また以前に書いた、インタビューの中の「音楽は人生そのものである」ということとダブるのだが、人生だってモノではないでしょう?それと全く同じ論理で、音楽は(時間の、それも時間芸術なのだから)モノではありえない。
2010年12月21日火曜日
Alberto Caeiro
Alberto Caeiro は詩人でない詩人であり、「群れの番人」なのだけれども、群れの番などしていないのだ。あらゆる形而上学の否定である。プレイアード版の解説を読んでいたら、彼をジョン・ケージと比較していていて「先に言われた!」と思いました。(Caeiro は、Pessoa の hétéronyme の一人。これをどう訳すのかな。今辞書を見たら「異根同類語」という訳語があった。何のこっちゃ?異名同人?かな?いや、単なる異名人物?)
2010年12月19日日曜日
クリスマス礼拝
教会のクリスマス礼拝。聖歌隊の伴奏をつとめる。なかなか満員の教会堂であった。そのあとは愛餐会。ピアノソロを弾かされたが、用意しておいた楽譜を間違えて、急遽全然違うものを弾く。いやはや……。
2010年12月17日金曜日
2010年12月16日木曜日
寒さ
やっと本格的な寒さ。しかし、去年のヨーロッパの寒さの比ではない。飛行機が飛べないくらいだったからね。今年もヨーロッパには強い寒気が到来しているようだが。いずれにせよ、あれからもう一年たったかという感慨しきり。
2010年12月13日月曜日
世界観
「世界観」という言葉の誤用にいらだつ今日この頃(いやもっと前からですけどね)(苦笑)。La vision du monde あるいは Weltanschauung などとは何の関係もないんだもの。ぼくがこの語を知ったのは、Alain Rocher 先生が Lucien Goldman の本を教材に取り上げたからだった。書名は Dieu caché 、翻訳もあるようだ(『隠された神』)。
2010年12月12日日曜日
比嘉康雄
比嘉康雄の写真についての番組。沖縄の祖霊神信仰。姜尚中氏がよいことを言っていた。沖縄はローカルだと思われているが、その底には(記憶の底)全ての人類に共通のものがある。民族とかローカルなものは、人類共通の普遍的なものの一片の現れに過ぎない。音楽もそうだ。先日、大学案内のゼミ紹介のインタビューを受けて、音楽とは我々の人生そのものだ、みたいなことを言ったら、インタビューをしていた女の人は首を傾げていたが……。ダニエル・シャルルも全く同意見だったのを思い出す。音楽はそれぞれに民族的だったり、ローカルだったりするが、実はその「記憶の底」では普遍的だ。逆も言える。その底では共通のものが、その現れではかくも多種多様でお互いに理解不能にまで至る。ぼくがプラトニズムに魅かれるのは、そこにこのような音楽のアナロジーを見るからだろう。そして、そのことはヘーゲルの「精神」もショーペンハウアーの「意志」も同じである。ぼくの『音楽的時間の変容』で言及した "Le musical" もまさしくそれだ。そして、この考えは大里俊晴さんの考えから影響を受けている。(彼のグールド論。)
2010年12月10日金曜日
共感覚
木村敏氏は著書の中で LSD 服用の際の「共感覚 synesthésie」の話を書いていたが、そのような薬物によらないでも日常的にそのような感覚を持っていることにも触れていた。有名なのは、音と色彩が結びついたメシアンの例だろう。しかし、二つ以上の複数の感覚が結びついていることもあり得るだろう。そしてそこに「記憶」が結びついていることもありそうだ。すると「記憶」ももう一つの「感覚」なのだろうか。しかし、翻って考えてみるに、我々の日常の経験がすでに、常に全ての感覚を動員して構成されているということがある。一つの感覚だけをわざわざ取り出す方が特殊である。それらを結び付けるのが「記憶」なのか?プルーストの例をよく考えてみよう。
そんなことを考えたのも、ふと昔にフランス語の単語を覚えていた時の感覚を思い出したからだ。その時の視覚・触覚などなど、総合的な経験。またこれは、プルースト的な「無意思的記憶」ではない。意思の力で呼び起こすことが可能だ。
また、それと同時に、今ここにいてまるで「異邦人」であるかのような感覚を呼び起こすこともできる。これは心理的に過酷な状況においては、それをやり過ごすに適した方法である。私は今ここで展開されている現実には直接には「関係」がない。
そんなことを考えたのも、ふと昔にフランス語の単語を覚えていた時の感覚を思い出したからだ。その時の視覚・触覚などなど、総合的な経験。またこれは、プルースト的な「無意思的記憶」ではない。意思の力で呼び起こすことが可能だ。
また、それと同時に、今ここにいてまるで「異邦人」であるかのような感覚を呼び起こすこともできる。これは心理的に過酷な状況においては、それをやり過ごすに適した方法である。私は今ここで展開されている現実には直接には「関係」がない。
サン=サーンス
ミヒャエル・シュテーゲマン『サン=サーンス』(西原稔訳、音楽之友社)の中に、やはりサン=サーンスのユダヤ出自の問題があったことが語られている。生前から、反対派によってそのようなデマが流されていたと言う。著者自身はそれを否定しているようだが。どうなのか。
2010年12月9日木曜日
グリム兄弟
橋本孝『グリム兄弟とその時代』読了。「その時代」の方にもっと詳しい分析などがあると面白かっただろう。そしてなんとまあ誤字脱字の多いこと。これは、著者の責任か(日本語もおかしいところがある)、編集者の責任か、両方か。出版社の名前が「パロル舎」だけあって、話し言葉がメインですか(苦笑)。
2010年12月8日水曜日
中沢新一氏
中沢新一氏からお礼メール。彼には『狂気の西洋音楽史』と同時に『思想』の抜き刷りも送っていた。「あとがき」のぼくの彼への「謝辞」に恐縮しておられた。大変にこの著作を評価していただいて、こちらこそ恐縮である。
2010年12月7日火曜日
ギヨー先生から
Guillot 先生から、彼のセヴラックに関する著書が出版されたという手紙(アルマッタン社の広告のコピー)が来た。それには付箋で「En attendant votre livre. Bien à vous. G」とあった。
eRikm
寒梅館でエリックMを聴いた=見た。彼の短編映画集である。単なるポップス系のDJのようなもの(ターンテーブル演奏家?)かと思っていたら、大間違い。第一級の映像作家であり、musique électro-acoustique 作曲家である。まず、何の音楽的専門教育も受けていないということに驚き、そのコンセプトの興味深さ(「記憶」を重層化させる)にもう一度驚く。
2010年12月6日月曜日
周平さん
細川周平さんから手紙(!)。『狂気の西洋音楽史』と『思想』抜き刷りを送った礼状である。いろいろと書いてくれて、ありがたいことだ。しかし、極度の筆無精のぼく(妻にいつもあきれられている ― 彼女はものすごく筆まめなのである)にとっては、「手紙を書くということ」に感心するし、そのように「手紙を受け取ったこと」に大感激である。
〈悪しき〉文化
足立信彦『〈悪しき〉文化について』読了。異文化理解ということについて、非常に明快に問題点を整理してくれている。非常に勉強になった。「文化相対主義」の危険、「普遍主義」の傲慢。その間でどのような解決策を見出したらよいのか。ヘルダーがそのような思想の持ち主であったとは知らなかった。
また二つばかり、それに関連して。
まず第一は、ぼくが大学生の頃に或る演奏会でピアノを弾いた時、その曲は確かフォーレの作品であったと思うが、それを Estrellita Wasserman が聴きに来てくれていた。演奏会後に彼女(フランス人)にぼく(日本人)の演奏(フランスの作品の)がどうだったのかと尋ねた。当時のぼくはナイーブだったので、「フランスの作品を日本風に演奏している」などというような感想を期待したのだったが、彼女の答えは「素晴らしかった」というだけであった。その時に感じた失望感を未だに覚えている。またその時に考えたのは、彼女は音楽の専門家ではないので、違いがよくわからないのではないか、ということだった。つまり、「音楽」という「言語」について考えたわけだ。
もう一つは、パリの東洋語学校 Langues'O (INALCO)で教えていた頃、当時の日本語セクションの長であった François Macé と話していて、ぼくが木村敏のこと(「もの」と「こと」の話など)を誉めていたら、彼が言った言葉。「しかし、日本語にはこれこれの表現があり、西洋語にはないから、日本人はかくかくしかじかである、という言い方は多少問題がある。〜人というものを、それほど簡単に前提にする議論は科学的ではない。」(表現は違ったかもしれない。)なるほどと思ったのだった(それ以外で彼に感心することがそれほどなかっただけに、これは印象に残っている)。
また二つばかり、それに関連して。
まず第一は、ぼくが大学生の頃に或る演奏会でピアノを弾いた時、その曲は確かフォーレの作品であったと思うが、それを Estrellita Wasserman が聴きに来てくれていた。演奏会後に彼女(フランス人)にぼく(日本人)の演奏(フランスの作品の)がどうだったのかと尋ねた。当時のぼくはナイーブだったので、「フランスの作品を日本風に演奏している」などというような感想を期待したのだったが、彼女の答えは「素晴らしかった」というだけであった。その時に感じた失望感を未だに覚えている。またその時に考えたのは、彼女は音楽の専門家ではないので、違いがよくわからないのではないか、ということだった。つまり、「音楽」という「言語」について考えたわけだ。
もう一つは、パリの東洋語学校 Langues'O (INALCO)で教えていた頃、当時の日本語セクションの長であった François Macé と話していて、ぼくが木村敏のこと(「もの」と「こと」の話など)を誉めていたら、彼が言った言葉。「しかし、日本語にはこれこれの表現があり、西洋語にはないから、日本人はかくかくしかじかである、という言い方は多少問題がある。〜人というものを、それほど簡単に前提にする議論は科学的ではない。」(表現は違ったかもしれない。)なるほどと思ったのだった(それ以外で彼に感心することがそれほどなかっただけに、これは印象に残っている)。
Ils sont fous, ces Chinois !
Briançon のスキー場で我々日本人グループが、perches という、それにスキーを履いたまま跨がって引っ張られながらゲレンデを登って行く装置に慣れておらず(これは日本には存在しない ー と思う)、片端から転び、引きずられ、何回も繰り返したのを見ていたフランス人の係員の叫んだ一言である。「こいつら気が違っている、この中国人たちは!」いやいや、私たちは日本人ですよ、などと抗弁する余裕さえないのであった。Non, non, vous avez tord, nous sommes Ja-po-nais !
そう、なぜこれを思い出したのかと言えば、『〈悪しき〉文化について』を読んでいるからである。他者を理解するとはどういうことか。我々はフランス人たちのアジア人蔑視を感じ、反発する。しかし、それと同時に、「我々は中国人などではない」と思う気持ちの中には、日本人の中国人蔑視が混入している。
そう、なぜこれを思い出したのかと言えば、『〈悪しき〉文化について』を読んでいるからである。他者を理解するとはどういうことか。我々はフランス人たちのアジア人蔑視を感じ、反発する。しかし、それと同時に、「我々は中国人などではない」と思う気持ちの中には、日本人の中国人蔑視が混入している。
2010年12月5日日曜日
講演会
昨日は京都で講演会。「大砲と花束」と題してショパンについて。三木のゴルフ場のオーナー、立松さんという方とお知り合いに。その後、岡本君と村上君と新大阪で飲む。出版記念および講演お疲れさま会である。
2010年12月3日金曜日
哲学への権利
立命館の亀井君から、映画『哲学への権利』上映に伴う討論会の参加者としての依頼が来た。デリダの Collège international de philosophie についてのドキュメンタリー映画である。日本人の監督が撮った映画であるという。ぼくは直接には余りコレージュと関係はなかったが(間接的に二回、フィリップ・ニスを介して、またエリック・マルティを介して)、そんなのでよければ(そしてまた少なくとも何年間かのフランス大学教員としての経験と)ということで、お引き受けした。
2010年12月2日木曜日
打つ身体
シューマンというと必ずバルトの「打つ身体」の語を持ち出す者がいるが、大体間違っている。例えば、それは弦楽器のトレモロではない。これを理解するにはもう一つのバルトの言葉「シューマンの最上の弾き手は「私」だ」を理解しなければならない。
2010年12月1日水曜日
シュタイナー
小杉英了『シュタイナー入門』読了。神智学と人智学などの関係など、よくわかった。心霊術やオカルトとの関係も。しかし、「西の結社」の「陰謀」というのは何なのだろう?そして、どうしてこれほどシュタイナーの「人種差別」のことにこだわるのだろう?よけいに気になりますね。シュレーバー協会とは何か関連があるのだろうか?そして、その他の様々なスピリチュアリスムとの関係は?勤め先の大学の側に、シュタイナー学校があるのだが、どうしてこれほどシュタイナー教育というのが日本で広まっているのだろうか?単に「思想が素晴らしいから」では答えにならないだろう。
登録:
投稿 (Atom)