2011年5月30日月曜日

シャッターアイランド

『シャッターアイランド』を見た。宮岡さんがとてもよいと誉めていたので。マーラーがよい、と。確かに。しかし、マーラーの《ピアノ四重奏》とは渋いですな。誰がスコセッシに教えたのだろう。ところで、今元町でそのマーラーを扱った映画がやっているらしい。それも、ちょうどぼくが『狂気の〜』で書いたテーマそのもの(マーラー、アルマ、フロイト)を。これはいわば「謎解き」なのですが(興味ある人は拙著を読んでください(微笑))、それを映画ではどう扱っているのであろうか。しかし、最初の設定を徐々に覆して行くというのは最近の映画のはやりのパターンですかね。これで、数本同じパターンを見たぞ(あ、これは『シャッターアイランド』の話ね)。映画の後で、村上君の録音してくれていた『夜のピンチヒッター』を聞き始めたところで、保育園から呼び出し。あゆみがまた高熱です。うむむ……。

ロロスリ承前

そしてまた思ったのだが、同時にバルト『サド・フーリエ・ロヨラ』を読んでいるのだが、バルト流の「テクスト分析」(?)というか「構造分析」みたいなものを『ロロスリ』にも適用できるなあ、とも思いました。書かれているもの(人)と、書いている人と、そして書かれたもの、それらの複雑奇妙な関係。ちなみにこんな表紙です。

ロックンロールストーブリーグ

というわけで安田さん/辻井さん『ロックンロールストーブリーグ』(音楽出版社)を読み返した。しかし、余りにも多くの情報が詰まっているので、後から、あああれはどこに書いてあったのだろう、と思って、ページをめくって探しても出てこない。この本にはぜひぜひ詳細な索引(それも事項についての説明がついているような)を付けて頂きたい、と思ったのでした。(全く同じことを大里さんの本でも思った。)

2011年5月29日日曜日

安田さん

昨日は、村上君の紹介で安田謙一さんに初めてお会いした。16時に三宮「にしむら」でおちあって、その後駅前「正宗屋」、そして最後は MoonLite 。

2011年5月28日土曜日

トマトの実

ついに、トマトに実がなった!
さきっちょに枯れた花びらがついています。まだまだ、ものすごく小さいですが、これからの成長を見守ろうと思います。しかし、周りにもたくさんの花がついています。これが全部トマトになる?

親王塚

家の隣の阿保親王塚に花束が捧げられていた。この写真は一昨日(5月26日)朝。
小さいので見えるでしょうか?真ん中の格子のところに立てかけられてあります。しかし、立ち入り禁止なのに、誰が……?

2011年5月27日金曜日

Ici c'est...

Ici c'est la tranquillité,
Bien loin du monde et de la vie,
Comblé de n'avoir nul passé,
Le futur même est oublié.
Ici c'est la tranquillité.
試訳:
ここは静かだ。
世間からも生活からも遠く離れ、
全く過去を持たないことに満たされ、
未来さえも忘れてしまった。
ここは静かだ。

(あるいは?)

此の静けさ、
人の世離れ、
来し方も、
行く末も無し。
此の静けさ。

というわけで、ペソアの詩の仏訳と和訳(拙訳)である。

Aqui está-se ...

Aqui está-se sossegado,
Longe do mundo e da vida,
Cheio de não ter passado,
Até o futuro se olvida.
Aqui está-se sossegado.

これは、ペソアの生前未刊行の詩(1929年3月29日の日付、その最初の一連)なのだが、かなり人口に膾炙しているらしい。(ポルトガル語の詩として、ということかな。)確かに、「アキ・エスタセ・ソセガド」というのはとても語調がいい。ちなみに、むろん、sossegado の反対が desassossego なのだろう。

2011年5月25日水曜日

ポエジー承前

Eureka!ポエジーとはモノの背後に流れる音楽のことだ。

2011年5月24日火曜日

非謐の書

『非謐の書』あるいは『非謐の書物』がいいのではないか。
その「6」を。
"J'ai demandé si peu à la vie - et ce peu lui-même, la vie me l'a refusé."
試訳
「私は人生にほとんど何も求めなかった — 「何も」?しかし、その「何も」さえ人生は私に拒んだのだ。」
"Un  rayon d'un reste de soleil, la campagne, un peu de calme avec un peu de pain, une conscience d'exister qui ne me soit pas trop douloureuse, et puis ne rien demander aux autres, ne rien me voir demander non plus.  Cela même m'a été refusé, de même qu'on peut refuser une aumône non par manque de coeur, mais pour éviter d'avoir à déboutonner son manteau."

Livre de l'intranquillité

ペソアPessoaの Livre de l'intranquillité (これは仏訳。原題はLivro do Desassossego)を読んでいる。フランスにいた時にすでに持っていたが、これもやはりモンペリエで水没してしまったらしい。もともとは二巻本だったのだが、最新版は一巻にまとめられ、未刊行の文章なども収められている。日本語の訳もあるらしいが未見。タイトルは『不穏の書』となっているが、これはどうか。英訳はThe Book of Disquietらしい。いずれにせよ、ポルトガル語でもペソアの造語らしいので、「不穏」というやや政治・社会的なニュアンスのある、それもすでに存在する語よりは、何か作ったらどうか。しかし、なかなか思いつかない。「不安静」とか?「不静」というのもいいか?「不静の本」。ふむ、悪くないかも。

2011年5月22日日曜日

琵琶プラス

子供たちを宝塚の義理の弟夫妻宅に預け、シルヴァン・ギニャール先生の「琵琶プラス」の京都コンサートへ。場所は恒例の黒谷永雲院。行く前に少々時間があったので、三条高瀬川沿いのカフェ・チェントチェントへ。何とここは明後日には閉店してしまうと言う、驚き。さてギニャール先生のコンサート、今年は薩摩琵琶の石田克佳さんと一緒。源平合戦の話をその画題の大きな屏風(ギニャール先生の私物 ― 最近彼は骨董に凝っているそうだ)の前で語るもの。庭もよかったし、演奏もよかった。昔の学生の前田さんがお手伝いしていた。今は、小学校で音楽教師をしていると言う。コンサートにはNHKの取材が来ていて、演奏前にぼくはインタヴューまでされてしまった。
これは黒谷の山門のうしろがわ。山門自体は修復工事中であった。
コンサート会場で細川周平さん夫妻と現地集合、その後、彼らお勧めの三条河原町の「魚棚」という店へ。その後、歩いてイベリコバル「ベジョタ・ムチョ」。周平さんの奥さんは、なんと「生モンポウ」を見たことがあるという!京都泊。

2011年5月21日土曜日

十字架の聖ヨハネ

十字架の聖ヨハネ Saint Jean de la Croix (スペイン語では、San Juan de la Cruz)は、モンポウの《ひそやかな音楽(沈黙の音楽)Musica callada》に引用があるので知り、その後歌曲にも《魂の歌 Cantar del alma》があって、名前を知ったのだが、ちゃんと知ろうと思い、いろいろ調べている。彼の詩はキリスト教神秘主義の一つの精髄のようだ。フランスから Le cantique spirituelLa vive flamme d'amour を取り寄せる。日本語訳もあるようで、それは何と我が家のお隣、西宮のカルメル会修道院が翻訳・出版しているもよう。しかし、まずはフランス語訳で読んでみようと思う。モンポウが引用しているのは、『精霊讃歌』の中からのようだ。《魂の歌》の詩はどうも『暗黒の夜 La Nuit obscure』にあるようなのだが、なんとフランス語訳は絶版で手に入らない。うーむ。

トマトの花

ベランダで今年から育て始めたトマトの花が咲きました。
さて、これからどう育ってくれるのでしょうか。
そして、その隣ではただただほったからかしにしておいたパセリが花を咲かせました!
パセリの花って初めて見ましたね。小さい花の集まりです。その周りに放射状に枝が伸びていて、その先端にも花が咲きそうです。

2011年5月20日金曜日

ドン・ペルリンプリン

ドン・ペルリンプリンは名前からして滑稽である。何の魅力もない中年男だ。彼は初夜の晩さえ「寝てしまう」し、必然的に「コキュ」である。しかし、我々男性はみんなドン・ペルリンプリンなのだ。モンポウはそれをいかに優しく描いていることだろう。ドン・ペルリンプリンはとれてしまった自分の「角」を優しく撫でるのである。そして最愛のベリッサのために、自ら死を選ぶ。

2011年5月19日木曜日

Don Perlimplin 承前

Don Perlimplin の楽譜を手に入れた。嬉しいー!はずなのだが、何だか昨日から腹具合がおかしく、そういう気分が盛り上がらない。残念。

ルナン

ルナンがレイシストであることは確かである。諸民族間に優劣があるとはっきり言っている。しかし彼のネーションの定義「毎日の国民投票」というのはそれとは無関係だし、けっこう民主的・共和的に見える。

Ernest Renan

Ernest Renan, Qu'est-ce qu'une nation ? et autres essaies politiques (Pocket, Agora, 1992) 読了。昔にフランスにいた頃に買っておいて、最初少しだけ読んでほっておいたもの。しかし、ルナンの表記以外の諸論文の他、シュトラウスとの往復書簡、ゴビノー、モムゼン、リッター、カリエールへの手紙など、そしてフィヒテその他があり、とても勉強になる。

霊操

イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』(岩波文庫)読了。しかし、翻訳解説の門脇佳吉がさまざまに引用する文献、ロシア・フォルマリスムやら道元やら、デカルト、カント、ハイデッガー、などなどその必然性が全く感じられない。説得力がないというか、ただ単に似てるからもってきました、という感じ。意味ないじゃん。

2011年5月17日火曜日

Poésie 承前

Poésie のあるなしのこの感覚を伝え得ないというのは、何と歯がゆいことだろう。それはある種の「記憶」に彩られていると言おうか。プラトン的な「想起」?

POESIE

ポエジーとは何か。音楽でも、風景でも、さらには詩でさえ、ポエジーがあるものとないものがある。人間についてはなおさらである。ポエジーがないものを考えた方がわかりやすいか。計算高い人間とか、日常から離れられない人間とか。ようはつまらないもの?それではあまりにおおざっぱか?

またまた

電車が止まっています。なんでこんなに故障が多いかね。ぼくが以前に日本にいた頃は(90年代初めまで)こんなことはなかったように思う。まあ以前にいたのは東京だが。この時間に考えたことだが、自分の求めているものは何かということで、結局それは「ポエジー」なのではないかと。詳しくはまた。

福島原発とアウシュヴィッツ

続いて言えば、アイヒマン(「陳腐な悪」の体現者)と福島原発関係の人々を対比することが可能だろうか?アイヒマンはただただ忠実に上官の命令に従っただけだった、それが何万人ものユダヤ人を虐殺することだったとしても。福島原発で働いていた人々もまた、上の人間の命令に従っていただけだった……。しかし……。

アドルノとアウシュヴィッツ

以前に岡田暁生が今回の大震災とアウシュヴィッツを混同していることを批判したが、考えてみると、それは福島原発事故が人災であってアウシュヴィッツも人間のしわざであるという意味で一緒にしているのだろう。しかし、アドルノが言っているのは、私の意見ではこうだ。「詩」というものは、「言葉」とその意味するもの(「現実」?)との間の「たわむれ」で成り立っている。しかしアウシュヴィッツにおいては、「言葉」そのものが「現実」と全くずれがなく、くっついてしまっている非情な(といっても足りない)世界である。「Arbeit macht frei」という言葉は「死」(以上のなにものか、とも言える)を意味する。もっと言えば「意味する」などとも言えない、ガス室直結のなにものかである。「Arbeit macht frei」はナチスの最悪の冗談(もともとは言葉と意味との遊び)である。遊びがないという遊び。「詩」はもともとはそのような遊びだったのに、アウシュヴィッツではそれがマイナスの遊びになってしまった。そしてまた、遊びとはそれに関与する本人がするべきものだが、アウシュヴィッツではそれは本人ではなく「彼ら」がするのである。

2011年5月15日日曜日

Charles Mouton

ついでに、Charles Mouton のやはり Canarie も相当いい。これはリュートのための曲集第一、Premier Liure 組曲イ短調の中にある。

Ennemond Gaultier

Ennemond Gaultier のリュートのための作品、les Canaries du Vieux Gaultier はとてもよい。

野ばら

家の裏の竹やぶの根元に咲いている野ばら。微かに良い香りがします。

2011年5月14日土曜日

直った

ブログは直ったようですな。しかし、朝から表でばかうるさいドリルで工事をしていて、何もできない。Sigh....

2011年5月13日金曜日

ブログ

使えるのか?

2011年5月12日木曜日

フィリップ

フィリップから実に久しぶりのメール。マリエタンが何か言ったかと思ったが、彼はまだ確か日本にいるはず(別府かな)。竹山氏がパリに行って会ったらしいのでそれですね。フィリップは夏に京都に来るらしい。さてさてこちらも夏の予定を考えねば。とりあえずコルテス氏と連絡をとる。

2011年5月10日火曜日

モンポウとラヴェル

モンポウとラヴェルも出会っている。なにしろビニェスはスペイン人なので、すぐにモンポウとアパッシュつながりはできていたはず。後年、モンポウはレオン・ポール=ファルグの思い出に《歌と踊り》を捧げているし。ビニェスとは一緒に大富豪ロスチャイルド(ロチルド)家の晩餐会に招待されている。ラヴェルとは全く話が合わなかったらしい。その辺もセヴラックと似ている。

2011年5月9日月曜日

セヴラックからモンポウへ

セヴラックからモンポウへという動きは必ずやあると思う。セヴラックが六人組の先駆者である、と言ったのは確かジャンケレヴィッチだったはず。そして、プーランクの親友であるモンポウ。またオルフェウ・カタラを巡って二人の関係がありそう。セヴラックはバルセロナが大好きだったしな。二人はどこかですれちがっていないか?セヴラックは1921年に亡くなるが、当時1893年生まれのモンポウは28歳で、パリにいたはず。いやパリとバルセロナを行ったり来たりしていたかな?1920年にセヴラックはバルセロナに招かれている。うーむ……。

チェス

デュシャンもレーモン・ルーセルも、そしてもちろんシューマンもシュレーバーも、みんなチェスが大好きである。

カタルーニャ語

セヴラック参考文献で雑誌『Conflent』というのを手に入れているのだが、その中にセレのブラゼスという人の「セヴラックの思い出」という文章がある。これがカタルーニャ語で書かれているのだ。そこで最近入手した田澤耕『ニューエクスプレス、カタルーニャ語』を片手に読んでみると多少役に立った。一番目に立つわからない語「amb」というのが「〜と一緒に」だというのを知った。しかしたいてい文意はわかるね。フランス語とスペイン語の中間の感じ?

2011年5月7日土曜日

Marcel Duchamp

昨日は連休中にも拘らず授業をしなければならなかった。(宮仕えは辛いね。)大学院の授業もあり、そこでレーモン・ルーセルの話をした。レットリスム(イジドール・イズーなど)との関連だったのだが、最近その『アフリカの印象』の舞台のフィルムを見たのを思い出した。それをどこで見たのかをなかなか思い出せなかったのだが、そうそう『マルセル・デュシャン事件』の中でだったのだった。そこでふと思い立って、モンポウのYouTubeがあるなら、当然デュシャンのものもあるだろうと思って検索すると、ありましたね。インタビューがいくつか。英語のものも仏語のものもあるが、どれも面白い。特にレディメードについての話が面白くて、インタビュアーに「これらの作品は見てはいけない。見ることはできないのだ。網膜では捉えられない。」と述べているのが印象に残った。サティが彼の「家具の音楽」を初演した時に、立ち止まって聴こうとする聴衆たちに向かって、腕を振り回しながら「止まるな!」と叫んでいたというのを思い出した。

2011年5月4日水曜日

すっごく

昨日は、あゆみちゃんと少しお買い物に行ったのだが、その時にけっこう大きめの蝶に出会った。そのお話を彼女は家内にしたのだが、その強い印象を伝えたかったらしく、「すっごく……」と言って、それほど大きくもなく小さくもなかったので「中くらいの蝶々」となってしまった。「すっごく中くらい」って(笑)。

マリエタン来訪

今日の昼は、せっかくピエール・マリエタン氏を家によんだので、その他にシルヴァン・ギニャール先生(ご夫妻をよんだのだが、奥さんは演奏会の準備で来れず)、檜垣智也さん、奈良ゆみさん、海老坂武先生も一緒に家でお食事会を催しました。談論風発、期せずしてマリエタン、ギニャールの二人のスイス人が同席したので、なかなか面白かった。しかし、フランク先生もスイス人だし、どうしてぼくの周りにはこんなにスイス人が多いのか。ジャン=クロード・エロワの演奏会のゆみさんの演奏をマリエタンは聴いていて、その時がまたゆみさんと海老坂さんの初対面の日だったらしい。奇遇!マリエタンはエロワとブーレーズのもとで同門で、エロワとブーレーズの確執を間近に見ていたという。

2011年5月3日火曜日

小さい青い花

この小さい青い花は何なのでしょうか?
雰囲気はいわゆる「ねじばな」によく似ています。「しのぶもじずり」ですね。ちなみにここは自宅横の「阿保親王塚」の中です。平城天皇の子息だったということで、その墓であるここは宮内庁の管轄であり、なんぴとたりとも「立ち入り禁止」。
しかし、親王塚なのに親王塚町にはなく、ここは翠ヶ丘町ですが。その中は外から見たところ周りに濠を巡らした円墳のおもむき。ここからまっすぐに南下した打出駅の手前にも、金津山古墳があります。

2011年5月2日月曜日

ロヨラ

イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』(門脇佳吉訳、岩波文庫)を読んでいる。しかし、この門脇氏は禅もやり、イエズス会の修行もしたといい、両者に共通点が多いと述べる。そして、禅の修行をしていたおかげで、イエズス会の修行も人より早く修了した、と言うのだが、それっていいことなのか?まあ「より早く」だけではなく、「より深く」とかも言っているけれども。どうも「功利的」な臭いがすると思うのは気のせい?それも含めて、氏の解説は、本当にロヨラの意図なのか、彼の曲解なのか、迷うところではある。なんだか見当はずれ(めいた?)引用などがあってますます迷わされてしまう。また「霊操」そのものの在り方が非常に精神分析と似ている。このことはロラン・バルトは気付いていたのだろうか?実を言うと、バルトの名著をまだ読んでいないのだった。急いで読まねば。

2011年5月1日日曜日

Jean-Aristide Rudel

私の机の前には、Jean-Aristide Rudel の小品(恐らくパラヴァス海岸の母親と幼児)と Frédéric Basille のポスター(Vue de village)と、応挙の模写(笙を聴く松下の儒者)、大倉侍郎さんの小品二つ、ギニャール先生から貰った大津絵(座頭)がある。