2011年5月2日月曜日
ロヨラ
イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』(門脇佳吉訳、岩波文庫)を読んでいる。しかし、この門脇氏は禅もやり、イエズス会の修行もしたといい、両者に共通点が多いと述べる。そして、禅の修行をしていたおかげで、イエズス会の修行も人より早く修了した、と言うのだが、それっていいことなのか?まあ「より早く」だけではなく、「より深く」とかも言っているけれども。どうも「功利的」な臭いがすると思うのは気のせい?それも含めて、氏の解説は、本当にロヨラの意図なのか、彼の曲解なのか、迷うところではある。なんだか見当はずれ(めいた?)引用などがあってますます迷わされてしまう。また「霊操」そのものの在り方が非常に精神分析と似ている。このことはロラン・バルトは気付いていたのだろうか?実を言うと、バルトの名著をまだ読んでいないのだった。急いで読まねば。