学校からあゆみがホウセンカを持って帰ってきた。Ayumi's impatiens.
2015年5月30日土曜日
2015年5月27日水曜日
Valéry Larbaud
ヴァレリー・ラルボーとの出会いは、学部生のときに、西村靖敬先生(当時はフランス科の助手だった、いやその前か)の授業で Enfantines を読んだのが最初だった。その後、まったく忘れていたが、リカルド・ビニェスのことを調べていて、彼らがけっこう付き合っていたのを発見したのが、ラルボーとの再会と言える。ラルボーは一時期、長い間スペインに住んでいたのだった。また、カルディナル=ルモワーヌにも住んでいたと聞いて、また親近感が湧いた。ぼくはその近所のゴブランに住んでいたから。カルディナル=ルモワーヌには、École des Hautes Études の図書館があって、誰でも利用できたので、そこでパソコンを持って行って、翻訳などをしていた。その上、ラルボーの父親が薬剤師で、ヴィシー水、正確には Saint-Yorre を発見した、それで莫大な財を成した、というのも、ぼくはよくカフェで「Un quart de Vichy」と頼んでいたので(胃腸にいいと聞いていたので)、別の意味で親近感が……。
ラルボー『バルナブース全集』
ヴァレリー・ラルボー『A・O・バルナブース全集』上下(岩崎力訳、岩波文庫)を読んだ。最初は単なる金持ちの道楽と見えた。特に詩の部分。はいはい、いろんなところに行ってよござんしたね、という感じ。そこに行ったことのない人間には、どうも想像力を刺激しにくい。これは翻訳ということもあるだろう(岩崎先生ごめんなさい)。フランス語では違ったかも知れない。しかし、散文、特に日記の部分はだんだんと引き込まれて行った。さまざまな仕掛けがある。これが「真実」と思われるような部分があり、それが別にその場所に行ったことがなくても、そういう経験をしたことがなくても、そうなのだ。作家、あるいは一般に芸術家が、独自の「世界」を作る(「世界観」じゃないよ)というのは、その辺の機微を指している。芸術は第二の人生だ。(そこで、問題になるのが、例えば電子音響音楽のような、現実とは何の関係もない芸術だけれど。)ラルボーは読ませる。これを高く評価するかどうかは別だが。でも、彼の後半生を知るとまた話は別で、またいろいろと考えさせられる。死没までの22年間、車椅子生活で、話せる言葉と言ったら「こんばんは、この世のことは」だけだったというのは……。
ところで「福寿」は、やはり美味しいお酒ですな……。
ところで「福寿」は、やはり美味しいお酒ですな……。
2015年5月26日火曜日
関西フィルハーモニー管弦楽団ヨーロッパ公演2015記念演奏会
関西フィルハーモニー管弦楽団ヨーロッパ公演2015記念演奏会に行ってきた。指揮とヴァイオリンは、Augustin Dumay(デュメイと表記されているが、正しいフランス語発音は「デュメ(ー)」*)。プログラムはショーソン《詩曲》、ラヴェル《ツィガーヌ》、マスネ《タイスの瞑想曲》、休憩を挟んでブラームス《交響曲第4番》。デュメーのヴァイオリンを生で聴いたのは初めてだが、その音色堪能しました。関西フィルも初めてですが、よく鳴るオケですな。前半はヴァイオリン弾きながら指揮というものだったが、さすがにツィガーヌは(特にテンポをすごく揺らしたので)けっこう大変そうでした。
*「フランス語には二重母音はない」とよく阿部良雄先生に叱られていましたので、これはすりこまれております(笑)。レイモン・アロンではなくて、レーモンね。レイナルド・アーンもだめ(ただしこちらはフランス語ではないという説もあるので、どうか)。
*「フランス語には二重母音はない」とよく阿部良雄先生に叱られていましたので、これはすりこまれております(笑)。レイモン・アロンではなくて、レーモンね。レイナルド・アーンもだめ(ただしこちらはフランス語ではないという説もあるので、どうか)。
2015年5月23日土曜日
2015年5月22日金曜日
方広寺、耳塚ほか
京都市内で組合慰労会があり、時間まで間が合ったので、京阪七条駅で降りて附近をぶらぶら。七条通を三十三間堂の方へ。
国立博物館の手前を左へ。博物館の正面は実はこちららしい。
そしてその隣りが豊国神社=方広寺。
その真ん前に耳塚があった。けっこう大きい。周りが公園になっている。
2015年5月21日木曜日
Berlioz, Mémoires
Hector Berlioz, Mémoires 1 & 2, Chronologie et introduction par Pierre Citron, Paris, Garnier-Flammarion, 1969. を読んだ。自作を上演する苦労はいつの時代も一緒。読みながら、アラン・ゴーサン氏の嘆きを思い出した。あと、同感だったのが、パリの家の10軒に1軒にしか本棚がない、ということ。パリに住んでいたときに、本が全く一冊もないという家庭があって、びっくりしたことを思い出した。(思い出すことが多いね。)一番最後にあった言葉「L'amour et la musique, ce sont les deux ailes de l'âme.」(愛と音楽は、魂の二つの翼だ。)というのはいい言葉だ。
2015年5月20日水曜日
2015年5月19日火曜日
2015年5月18日月曜日
いちおう原稿……
いちおう注文の原稿、1900年代から1930年代までのパリの音楽についての原稿は、書き終わったのだが、何となく不満である。しばらくほおっておいて、後で見直すというのが、いつものやり方。
2015年5月17日日曜日
2015年5月15日金曜日
2015年5月14日木曜日
2015年5月10日日曜日
スタインウェイ
今日は大阪グランフロントにある島村楽器にスタインウェイを聴きにいった。とてもめずらしいヴァージョンの「アラベスク」というスタインウェイ(日本に数台しかないらしい)のお披露目。ピアニストは川井綾子さん。ドビュッシー、シューマン、ショパンを弾いた。ちょうど「母の日」でもあって、ピアノをやっている義母も誘って。演奏の後は、いろいろとスタインウェイピアノを弾かせてもらった。同じ型番でも楽器が違えばその個性が全く違うのには驚いた。スタインウェイの設計で、カワイが作っているという、ボストンも置いてあったが、これはよりスタンダード。私の好みではない。ヤマハの方がよい。スタインウェイはちょっとアップライトを狙っているのだが、グランドと比べると、うーむ、やはり……。グランドもそれはOよりもBの方がいいですね。しかし、1200万……。これがそれ。
帰りは芦屋の竹園のレストランでみんなで洋食。
奈良ゆみソプラノ・リサイタル「それぞれの故郷」
奈良ゆみソプラノ・リサイタル「それぞれの故郷」を聴きに行ってきた。南森町のモーツァルトサロン。13人の作曲家の作品を歌い分けるという離れ業。終わった後に敦子さんに「ピアノも何台も変えて弾きたいですよね」と言ったほど、雰囲気、ニュアンス、音楽そのものが違う。前半はスペイン語系が多く、後半は日本語の歌がほとんど。そして、それぞれに自らの故郷、思い出を歌っている。そこに一本の糸=意図が通っているのが、なかなか。楽しませてもらいました。(ちなみに東京・王子ホールのは、ぼくが解説を書きます。)
2015年5月7日木曜日
2015年5月5日火曜日
2015年5月3日日曜日
ラ・フォル・ジュルネびわ湖2015
昨日は芦屋市立美術博物館で「あしやつくる場」アートバザー。今日はびわ湖ホールその他で「ラ・フォル・ジュルネ」。初めて大津駅で降りました。
聴いたのは、ラーンキ親子でバッハの2台・3台のピアノのための協奏曲。その合間にドゥカイという人のバッハに由来する新曲が挟まっていた。しかしバッハだけで十分美しいので、その他はなくもがなの感もあり。まあ幕間というか中継ぎなのでしょうね。それなりに美しい曲ではあった(最後に作曲者本人もあいさつした)。子どもたちは琵琶湖を初めて見た。曇ってたけれど、気持ち良かった。
聴いたのは、ラーンキ親子でバッハの2台・3台のピアノのための協奏曲。その合間にドゥカイという人のバッハに由来する新曲が挟まっていた。しかしバッハだけで十分美しいので、その他はなくもがなの感もあり。まあ幕間というか中継ぎなのでしょうね。それなりに美しい曲ではあった(最後に作曲者本人もあいさつした)。子どもたちは琵琶湖を初めて見た。曇ってたけれど、気持ち良かった。
2015年5月2日土曜日
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