2010年2月28日日曜日
わからない日本語
C'est-à-dire que le journal en question a été donc partiellement modifié (surtout concernant le "topos" ôsakaïque). La zone est à étudier, selon le dire de Murakami-kun, et pour ce faire il y a un outil, paraît-il, tel qu'un dictionnaire de dialecte dans la région de Kansai chez Kôdansha. Ce qui est impressionnant c'est la complexité langagière dans la région. J'étais donc un peu hâtif pour conclure que les paroles entendues dans le train étaient comparables avec le cockney ou le parisiennisme.
2010年2月27日土曜日
Jankélévitch
というわけで、ジャンケレヴィッチ『遥かなる現前』を読み返したら、ちゃんとあるじゃないですか!「セヴラックの音楽はそぞろ歩きするのが天性なのである」と。「散歩」であり「運動」であると。そして、ラフォルグの名前がまたまたちゃんと引かれている。
2010年2月26日金曜日
Tombeau de M. Pinguet
パンゲ先生で思い出したが、彼の墓には以下のような彼の言葉が彫られている。
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
サルラ近郊、サンタンドレの墓地である。(今の記憶が定かなら。)
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
サルラ近郊、サンタンドレの墓地である。(今の記憶が定かなら。)
2010年2月25日木曜日
Green ideas
もう一つ面白い英語の文章。これも、すでに故人のモーリス・パンゲ Maurice Pinguet 先生に教わったもの。確か、バルトだかデリダだかの記号論についての講義で、英語圏の言語学者(チョムスキー?)の引用だったと思う。
Colorless green ideas sleep furiously.
この文章の意味は?……特殊な文法の例文、という意味だ。
Colorless green ideas sleep furiously.
この文章の意味は?……特殊な文法の例文、という意味だ。
Time flies
Time flies like an arrow.
Fruit flies like a banana.
というのは、亡くなったアンガス Angus Lindsay に教えてもらった、マルクス兄弟のギャグだが、常々実感である。(もちろん前半部分のこと。)この学校に勤めてもうすぐ10年になろうとは!しかし、「光陰如箭」と中国語でも一緒なのは面白い。
Fruit flies like a banana.
というのは、亡くなったアンガス Angus Lindsay に教えてもらった、マルクス兄弟のギャグだが、常々実感である。(もちろん前半部分のこと。)この学校に勤めてもうすぐ10年になろうとは!しかし、「光陰如箭」と中国語でも一緒なのは面白い。
わからない日本語
学研都市線の中で外国語のような言葉で会話している中年というより老年の男性二人。極端に早口の大阪弁だと思われるが、ほとんど何を言っているのかがわからない。「show」とか「schau」とか聞こえていたものは、「〜ちゃう?」と言っているのだとしばらくしてわかった。ロンドンにはコックニーという言葉があり、パリには下町なまりがあるが(アルレッティーのしゃべっているやつ)、日本でも、というより大阪でもそのようなものがあるのである(のか???昨日、27日に村上君から、この項に関する指摘あり、勉強します。)
2010年2月23日火曜日
定期点検
車を定期点検に出す。業者のところに持っていって、電車で帰ってきて、連絡待ちである。結局一日仕事のような感じで、車を持っていると便利だが、やらなければならないことも増えてきて、以前よりも忙しくなる。人間の活動とは、この類いのものが多いような気がする。
2010年2月21日日曜日
2010年2月20日土曜日
川本先生
川本皓嗣先生が日本学士院会員に選ばれたお祝いの会に行ってきた。彼の授業は院生のときに受けたが、英詩のさまざまなスタイルについて学ぶもので、ぼくの英語の発音を直されていたのを思い出す。記念講演会は「伝統というものは新たに生み出されるものだ」ということについて、明治時代の西洋詩輸入(翻訳)を実際の例としてお話しされた。ちょうどフランスなどの西欧の民謡や民俗伝承の問題について考えているので非常に参考になった。Van Wyck Brooks という人が1918年に"On Creating a Usable Past"ということを主張しているらしい。セヴラックとの関係で言うとどういうことになるのか。その後の懇親会で川本先生にちょっとそのような話をしたら、即座に「ヴァンサン・ダンディのようなことかね」と言われて、その該博な知識にびっくり。また娘さんが一橋大学准教授になっておられると聞いてまたまたびっくり。
2010年2月17日水曜日
クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッドの最新作 Invictus を見た。このタイトルは Henley という人の詩から来ているのですね。篇中そして最後に World in union 95(ラグビー、ワールドカップのテーマ曲らしい)という歌が流れるのだが、これがまたホルストの惑星のアレンジなのだった。まあホルストのメロディーというのは一種の民謡スタイルなのだろう(ヴォーン=ウィリアムズなどと一緒の民謡復興運動に彼も関わっていたっけ?)。そのために応用しやすいと思われる。
その後は三宮高架下のジャヴァ、ジャズの流れる中でアイスティー。
その後は三宮高架下のジャヴァ、ジャズの流れる中でアイスティー。
2010年2月16日火曜日
根来論文
根来章子「デオダ・ド・セヴラックにおける「地域主義」と「エグゾティスム」の交錯」を読んだ。régionalisme を今まで「地方主義」と訳していたが、確かに「地域主義」の方が適切だろうし、フランス史などでそのように訳されているらしい。不勉強であった。しかし、フランスの「地域主義」理解の難しいところは、ナショナリズムと反中央(反パリ、反中央政府)が結びついているところだろう。ダンディなどは、そこにさらにヴァーグナー崇拝が絡んでくる。どうも『作曲法講義』などでは、フランスの劇音楽や宗教曲などは過小評価されているらしい。前者はドイツ・オペラの陰、後者はイタリアの宗教曲の陰に追いやられてしまっている。(これを「ダンディは様々な矛盾を裡に孕んだ人物なのだ」と評価する ー それで済ましてしまう ー というのもある。)セヴラックも、心情的には別にフランス国家に忠誠を誓おうなどとは思っていなかっただろう(第一次大戦に一兵士として ー 積極的に ー 参加したとしても)。むしろ、彼の身近のラングドックや「セルダーニャ」への想いの方が強かったように見える。この辺りの複雑な事情はきちんと明らかにする必要がありそうだ。
また、根来氏は、ダールハウスの論については言及していないが、彼は19世紀後半のナショナリズムに基づくいわゆる「国民楽派」的な運動が、前衛芸術の運動と容易に結びつくことを指摘している。つまり、伝統的な音楽語法をくつがえすのに、民族的な(民俗的な)要素をもってすることで、いたずらな「難解な前衛」拒否の感情を融和することができる。(そして同様のことはエグゾティスムについても言える。)
また、根来氏は、ダールハウスの論については言及していないが、彼は19世紀後半のナショナリズムに基づくいわゆる「国民楽派」的な運動が、前衛芸術の運動と容易に結びつくことを指摘している。つまり、伝統的な音楽語法をくつがえすのに、民族的な(民俗的な)要素をもってすることで、いたずらな「難解な前衛」拒否の感情を融和することができる。(そして同様のことはエグゾティスムについても言える。)
2010年2月15日月曜日
2010年2月13日土曜日
書類に手紙
昨年12月のパリ大学客員教授招聘は、(貧乏なフランスの大学の常として)ギャランティーはぎりぎりで旅費など出なかったので、同志社女子大の在外研究補助金を貰ったが、そのためには報告書と計算書を書かなければならず、それを今日やっと完成。ついでに、来夏のソウルでの国際比較文学会の発表に補助金を貰うため、これも申請書を作成。しかし、半年も先の話なのだが……。そして、セヴラックの翻訳を出したので、ギヨー先生とブラック=ベレール夫人に送るためにそれぞれに手紙をしたためた。お二人とも、お会いした時に撮った写真を送ったら、丁寧なお礼状をくれていて、これは correspondance を続けるにも、いい機会である。
Roussel
ルーセルの《プレリュードとフーガ》を弾いてみた。しかし、セヴラックと同級生なのに、この無調への傾きは何なのか?フーガは「バッハの名による」ということで、半音階的なのはわかるけれども。確かに、以前から《組曲》やら何やらで「変だ」とは思っていたが。これはどこから来るのだろう。対位法的なテクスチュアはダンディーの教育からか?(昔読んだ音楽辞典の記述にルーセルは線的な印象主義者だとあったのを思い出す。)リュック・フェラーリが若い頃に金持ちのサロンでピアノを弾いていたという話の中に、あるときルーセルを弾いて、これが限界だなと感じた、とあるが、まさしくその通りだろう。そして、ヴァレーズの最初の先生がルーセルであったというのも、うなずける話だ。フランスで《パドマヴァーティ》の全曲レコードを買って、ほおってあるのだが、きちんと聴いてみないといけないな、と思うのでした。しかし、彼の歌曲全集のCDというものもあるぞ。これは、東大の松村君の当時の彼女がソプラノで、一緒に聴いた覚えがある(とても録音レヴェルが低くてみんなで文句を言ったものだ)。彼女の名前は失念したが、新潟出身でその上父親が教育関係というので、大里さんの父親と知り合いだったりして、これもまた「世界は狭い」という一例である。
2010年2月12日金曜日
D'Indy
Séverac のことを書くのには、彼の師匠である D'Indy についても、よく知っておく必要があると思い、Vincent d'Indy et son temps (Mardaga, 2006) を読みつつある。その中で、反ユダヤ主義者としての論文があり、そのことはまあ知られていると思うが、そこに、『アクシオン・フランセーズ』の音楽批評担当のオーギュスト・セリユーが「彼の知人」として言及されていた。しかし、セリユー(Sérieyx)は彼の「弟子」であったはず。そして、ダンディの『作曲法講義』の第3巻が彼の女婿であるリオンクールの編集としてあるが、これもセリユーの編集だったような気がするのだが……。要確認である。
2010年2月11日木曜日
成績
昨日、締め切りぎりぎりで卒業年次生の成績をつけ終わり、教務課へ。教職オリエンテーションと重なって大変(ぼくは責任者なので、いちおう挨拶などしなければならない)。今日は、ゆみさんとセヴラックの練習。
2010年2月8日月曜日
2010年2月2日火曜日
Mompou
モンポウの《あなたの心は花のよう》(《夢の戦い》)があれほど美しいのは、単に民謡風であるとか、旋法を使っているから、ではない。もちろん分析をすれば、そういうことになってしまうが、例えばヘ短調のメロディーの中に突然、本位ニ音が出てくる。この感覚をどう言い表せばよいのか。ぼく自身は、何となく「腰が抜けるような」、かなり身体的な感覚に思う。あるいは、鳩尾に一発喰らうような??甘美な苦痛である(胃カメラとは何たる違いか!)。またの機会にもっと多くの例を挙げて説明したい。
アクシオン・フランセーズ
白水社からの翻訳が出たので『アクシオン・フランセーズ』(クセジュ)を読んだ。いろいろと面白い発見あり。現代への影響の項で、ブータンの名前があって、松葉氏が最初に留学した時に何も知らずに彼を指導教授にしていて、みんなが揶揄していたのを思い出した。しかし、彼を含めて、アクシオン・フランセーズというのは(モーラスをはじめ)、単なる右翼として切って捨てるわけにはいかない、幅広い影響力(特に知識人層に)を持っていたようだ。ぼくは、芳賀徹先生から、フィリップ・アリエスの名を教えてもらったのだが、アリエスもモーラスの影響下にあったらしい。何となく、今となっては、うなずける話だ。
胃カメラ
芥川は、どんな地獄の責め苦もしばらくすると慣れるといい、安吾は、同じことの繰り返しの退屈さこそが責め苦であると述べているが………、こればかりは、どうしても慣れないような気がする……。しかし、いろいろといじられ、ふくらまされて、苦しい胃袋(まさしく「ふくろ」である)が、楽になるとき、何という安堵感だろう。心身問題など吹っ飛んでしまう。
2010年2月1日月曜日
A faire cette année
2 livres : L'Histoire de la folie dans la musique (chez Iwanami); Déodat de Séverac (chez Artespublishing);
1 article et 1 traduction : "Schumann" dans le Shisô;
1 exposé : "Le collect de la musique populaire en France" à l'ICLA 2010 à Seoul;
1 recording : Mélodies et chansons de Séverac (avec Yumi NARA, chez Kojima record);
1 publication : Traduction de Malaise dans l'Esthétique de Rancière (cela depend de Matsuba..., et alors ? Shôtchan ?);
1 article et 1 traduction : "Schumann" dans le Shisô;
1 exposé : "Le collect de la musique populaire en France" à l'ICLA 2010 à Seoul;
1 recording : Mélodies et chansons de Séverac (avec Yumi NARA, chez Kojima record);
1 publication : Traduction de Malaise dans l'Esthétique de Rancière (cela depend de Matsuba..., et alors ? Shôtchan ?);
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