2011年2月28日月曜日

マルセル・デュシャン事件

大倉さんからのもう一つのヴィデオ『マルセル・デュシャン事件 The Case of Marcel Duchamp』も見てしまった!チェスだよ、ホームズ君(ラモーの甥を、そしてシュレーバーを思い出そう)。そして反デカルト主義!(ペソアを思い出そう。)しかし、デュシャンの『音楽的誤植』の話が全くなかったのは残念。

Cage/Cunningham

大倉さんから、Elliot Caplan のドキュメタリー映画『Cage/Cunningham』が送られてくる。さっそくダビングしながら視る。1991年の撮影と言うことだから、ケージの死の前年である。ぼくが彼と会ったのがその数年前で、まったく同じ感じであった。ラモンテ・ヤングのひげが逆さに生えているのと、フランク・ステラの左手の指が一本ない(!)のに、驚いた。ステラと言えば、その娘とその彼氏と共に、サルラのアンドレ/パンゲの家(パンゲ先生はもう亡くなっていたが)で一緒に夕食を食べたのを思い出す。

lentement

Lentement...
Oui, lentement...
Je veux penser à ce que veut dire
Ce lentement...
ゆっくりと……
そう、ゆっくりと……
それがどういうことなのか考えてみたい
この、ゆっくりと、が……

Peut-être le monde extérieur est-il trop pressé.
多分、外の世界が急ぎ過ぎなのか。
Peut-être l'âme ordinaire veut-elle arriver plus tôt.
多分、普通の人は他の人より早く着きたいというのか。
Peut-être l'impression des instants est-elle très proche...
多分、その時その時の印象がお互いにとても近いのか。
Peut-être tous ça ensemble...
多分、そんなのがみんな一緒になっているのか………
Mais ce qui me préoccupe, c'est ce mot : lentement...
Qu'est-ce qui doit être lentement ?
でも、ぼくが気になるのは、この言葉だ、ゆっくりと、という……
ゆっくりと、って何なんだろう?

2011年2月27日日曜日

うらしまじろう

子供たちとの話で出て来た名前。「うらしまじろう」。これは、子供たちにいじめられている亀を助けなかった気弱な弟なのか、あるいは虎縞が妙に黒いいわゆる「ブラック」しまじろう、なのか。いずれにせよ、こんなところでも、「二回目はコミック」というのがあてはまるな。(誰の言葉か?)

日文研

サン・パウロにいる(!)細川周平さんの紹介で、日文研にテレサ・ロドリゲスさんに会いに行く。しかし、どうしてこういう施設(京都芸大もそうだ)はこういうすごく辺鄙な所にあるのだろう?我が家からは片道でゆうに2時間以上はかかる。またまわりの住宅街の殺風景なこと!大変に疲れました……。

2011年2月26日土曜日

哲学への権利

立命館大学で西山雄二さんの映画『哲学への権利』上映会および討論会。討論会は亀井君の司会のもと、立命館の加國尚志さん、龍谷の竹内綱史さんとぼくとそして作者の西山さんで。ようは「哲学とは何か」みたいなことになるのか。「大学で哲学をするとは?」、また「哲学は必要か?」……。うーん、あまりに根源的でそれ自体が「哲学的な」問題なような気がする。懇親会には村上君も合流。他に西山さんの「おっかけ」の学生たちが5、6人。立命館の谷先生および学生たちも。

2011年2月25日金曜日

音楽の友

拙著『狂気の西洋音楽史』の書評が今月号(3月号)の『音楽の友』に掲載されました。小沼純一さんの評です。

2011年2月22日火曜日

モンポウ《歌と踊り》

以前にウォーターズのセヴラック研究書を読んでいたら、アルベニスの管弦楽組曲《カタルーニャ》中の民俗音楽のフレーズの例が引いてあって、それが全くモンポウの《歌と踊り》8番のメロディーと同じなので、なるほどこれはカタルーニャ民謡として有名なのだな、と思ったのだが、昨日カントルーブのフランス民謡論を読んでいて、或るオーヴェルニュ民謡の例がまた全く《歌と踊り》9番のメロディーと一緒で驚いた。

2011年2月20日日曜日

牡蠣パ

昨日は毎年恒例(?)の牡蠣パーティー。海老坂先生、大倉さん、村上君、岡本君の常連の他に、今回は武居さん、庄司君、フランク先生夫妻という面々であった。これだけ多様多彩なメンバーが一堂に会するというのも珍しくも、面白いのであった。すなわち、仏文学者、彫刻家、自由人、印刷業者、心臓内科医、編集者、ピアニストたち……なのである。そこに我々、音楽学者と内科医、その他4歳と5歳児、どうです?

2011年2月19日土曜日

古風なポスト

芦屋市大原町にある古風なポスト。
ちゃんと今でも機能しています。
そして、もっと自宅よりの親王塚町にある「おやしろ」。これは近隣のお年寄りたちの篤い信仰を集めています。お参りする人が跡を断たない(?)。


2011年2月17日木曜日

散髪

パオラで髪を切ってもらった。パリに住んでいた間にお世話になった coiffeurs の人々のことをふと思い出した。17区で店を出していた日本人のおじさん。彼はいつもコンクールで入賞し、日本からも「弟子」がやって来ていた。息子が精神的におかしくなってモンペリエの病院に入院していたのを思い出す。そして、パリに住んですぐに13区のカンポ・フォルミオのアパートの一階にあった店。このアパートはパンゲ先生とアンドレが共同して持っていて、当初貸してくれていたものだ。東洋人の髪の毛は切りにくいらしく、いつもイザベルという娘が担当してくれていた。みんな今頃どうしているだろう?

車内迷惑行為

車内で迷惑行為があって、電車が遅れるということがある。以前に同志社前駅で電車が遅れ、ふと見ると隣の車両にたぶん同大の学生らしいのが一人、駅員や警官に囲まれて、なにやらもめていて、それが「迷惑行為」というように放送されていたことがあった。真相は闇の中だが、関西では車内で平気で迷惑行為をする者が多い気がする。携帯電話通話は当たり前、座席不法占拠、床に座る、食物摂取、化粧、大声の独り言(これはもはや「危ない」領域だが)、などなど。東京ではいずれも見たことがない行為ばかりだ。東京よりも大阪の方がやや「アジアより」だからだという説もあり。本当?(ところで、これは東京人が行儀が良いからいいとか、関西人のマナーが悪いからダメだとか言っているわけではありませんので、誤解のないよう。)

フェリーチェ

昨日は久しぶりに打出のフェリーチェへ。やはりここのパリパリのピザはうまい。

2011年2月16日水曜日

マッコリ

この間のソウル学会でもマッコリをおいしく頂いたのだが、最近日本製マッコリというものを発見。これがまた結構いける。「月と兎」という名前の愛知県で作っているやつ。微発泡で甘くなく見事に爽やか!

ブリュさま

ブリュンヒルド・フェラーリさんとジャクリーヌ・コーさんが、再度この12月に来日!これは、めでたい!ブリュさまは、自作品の公演を東京で、ジャクリーヌは二本の映画最新作(一つはフェラーリ《引き裂かれた交響曲》について、もう一つはアメリカ実験音楽について)を引っさげての登場です。

2011年2月13日日曜日

一日早い

一日早いバレンタインデーということで、4歳と5歳の娘たちからお手製チョコ(!)のプレゼント。

2011年2月12日土曜日

煙草屋

Pessoaの日本語訳は偶然どちらも「煙草屋」という題になっている。最初から「なんだか違うな〜」と思うのでした。第一連からすごくかっこいいのに……。
どういうのかというと。

「ぼくはなにものでもない。
これからもかわることはないだろう。
なにものかであろうとする意欲も湧かぬ。
それはそれとして ぼくのなかにはある この世界の夢のすべてが。」
(池上岑夫訳)

「おれは何者でもない
けっして何者にもならないだろう
何者でもないことを欲することはできない
それを別にすれば おれのなかに世界のすべての夢がある」
(澤田直訳)

というのです。
ちなみにぼくの親しんでいるフランス語訳はこんなのです。

Je ne suis rien.
Jamais je ne serai rien.
Je ne puis vouloir être rien.
Cela dit, je porte en moi tous les rêves du monde.
(Armand Guibert訳)

Je ne suis rien.
Je ne serai jamais rien.
Je ne peux vouloir être rien.
A part ça, j'ai en moi tous les rêves du monde.
(Patrick Quillier訳)

上がガリマールのポエジー叢書、下がプレイヤード版です。
ちなみにインターネットで見ると原文が手に入りました。

Não sou nada.
Nunca serei nada.
Não posso querer ser nada.
À parte isso, tenho em mim todos os sonhos do mundo.

こうして見ると、やはりプレイアード版の方が原文に寄り添っている感じですな。

拙訳を試してみましょう。

「ぼくはダメだ。
何にもなれやしない。
なろうという気も起こらない。
でも、世界中の夢は持っているのさ」
最後の行は
「そんなことはどうでもいい、世界中の夢を持っているのだから」
ともできるかな?

2011年2月11日金曜日

雪!

芦屋に引っ越して来てからこんなに雪が降っているのを見るのは初めて!さっそく、子供たちと美術博物館の庭に行って、雪合戦をして、雪だるまを作りました。ついでに、初めて図書館でカードを作って本を借りた。ペッソア(訳本はペソアとなっている)の翻訳を二冊と、田澤耕『物語カタルーニャの歴史』(中公新書)。『カタルーニャの歴史』は面白くて、あっという間に読了。この人も最初はフランス語を学んだと知りました。ペッソア(ペソアとするのかな〜)は、日本語にしてしまうと、全然自分の感じと違って、戸惑いがち。しかし、菅さんの翻訳もあった。

2011年2月10日木曜日

おお、そして

おお、そしてイベリア半島の神秘思想家で忘れてはならないのが、モンポウの Musica callada のもとになった、サン・フアン・デ・ラ・クルス!

ペッソアふたたび

しかし「ちからがないという力」とは、いかにもペッソア的である。(素晴らしい!拍手!)(ケージ的とも言えるかもしれない!!)そして、その淵源の一つがどうも神秘主義らしい。どうもイベリア半島にはそのような神秘主義の系譜がありそうで、リカルド・ビニェスもそれにはまっていたらしい。セヴラックとも結びつくのだが、彼は直接には神秘主義者ではない。(親戚だか知り合いだかにそういうのがいたらしいが。)この二人をフォンフロワドの修道院の壁画に一緒に描いたのが、オディロン・ルドンだが、ここにも神秘思想が匂いますな。そして、何と言っても、トマス・デ・ビクトリアを聴くたびに、ぼくなどは「神秘的」な感じがするのだが、これは個人的印象に過ぎないのか?

むぢから

村上君が面白いものを送ってくれた。私の新著『むぢから』である。世の中、「〜力」が大はやりである。思わぬものに力があるというのだろうが(老人、挫折、悩むなど)、そういう逆転の発想の否定、あるいは極北。「力がないという力」(笑)。

2011年2月9日水曜日

Bureau de Tabac

Pessoa(Alvaro de Campos)のBureau de Tabacを読む。傑作である。ずっとプレイアード版を読み続けているわけで、以前にはSeuilのPoésie叢書で読んだのだったが、微妙に翻訳が違っていて、多分こちらの方が原文に近いのであろう。でも、日本人のぼくには、やや雅文調過ぎるか?

2011年2月8日火曜日

Musica callada

フランスのFM放送、France Musiqueをインターネットで聴くことができるのだが、そのアナウンサーがモンポウの《ひそやかな音楽 Musica callada》を「ムジカ・カヤダ」と発音していた。うむむ、これは正しいのであろうか?

2011年2月7日月曜日

Charles Bordes

Daniel Charlesのウィキ日本語版が村上君の努力で出来上がった。クリストフもいいと言ってくれたので一安心。ところで、もう一人のCharlesである、Charles Bordesについても、もう少しいろいろと調べられたらいいな、と思う今日この頃であった。といっても、ほとんど資料はないんだけどね。しかし、一昨年にパリ国立図書館音楽部門のカタログをマイクロフィッシュで買った(同女の図書館に買わせた)のは、今から思えば、いろいろと役に立ちそうである。セヴラックについては、新発見はなかったけれども。ボルドとか、他にもたくさんの資料が埋まっていそうだ。

梅四題

今日は修論口頭試問のため、またまた今出川へ。そろそろ梅か?ということで、いろいろと見てみるが……。
これは同女今出川キャンパス内の「資料庫」脇の梅。
まだまだ、ですな。
もう少し歩くと栄光館前にいたり、その横が口頭試問が行われるジェームズ館。その栄光館側の横の入り口にしだれ梅が一本。(これは去年もアップした気がする。)
こちらの方が、やや開花は進んでいますが、やはり咲き始めという感じですね。
そして、帰りがけに同女の前の御所の中の梅林はどうか、と思って通って行きました。
こんな感じでこちらもまだまだなのでした。うーむ、やはり京都は寒いからか……。ちなみに、この梅林に行く途中に、突然すごくいい香りがしたので、振り向くと大きな蝋梅が二本あって、もう散り始めていました。


2011年2月5日土曜日

プリムラ・ジュリアン・キャンディ・マジック

打出の歯医者に行った帰り、手ぶらで帰るのもなんなので、二号線沿いの花屋で花を買う。キャンディマジックと書いてあったが、これはプリムラだな、と思った、と言うのも何年か前にとても良い香りのする黄色い小振りのプリムラを持っていたからだ。
家に持って帰って植え替える。数日前だったら、こんな作業は厳しい寒さで思いもよらなかったろうが、今日はぽかぽか陽気である。ちょっと調べたら、これはプリムラ・ジュリアンという種類の中でも、八重ばら咲きの「キャンディマジック」という品種らしい。プリムラというのは、日本語では「桜草」のことのようだ。しかし、長い名前だな、プリムラ・ジュリアン・キャンディ・マジック……。

Catalonia

「カタロニアCatalonia」というのは英語ですね。だから現地語の発音を尊重すると言うのであれば、「カタルーニャ」というのがよいのでしょう。(しかし、そうなるとドイツなどは「ドイッチュランド」か?スイスだとますますわからなくなるな。何ヶ国語もあるから。)

2011年2月3日木曜日

カタルーニャの歴史

M・ジンマーマン/M=C・ジンマーマン『カタルーニャの歴史と文化』(クセジュ)読了。音楽についてはほとんど言及なし。しかし、全体的な文脈を手に入れることができる。カタルーニャ語を大事にしなければ、ということで、フェデリコ・モンポウは間違いで、「フラダリック」・モンポウとなるようです。パブロ・カザルスは、「パウ」・カザルスだし、ジョルディ・サヴァル(前出!)はジョルディ・「サバイ」となるようですな。訳者の田澤耕という人は法政大学の教授のようだが、日本で唯一のカタルーニャ専門家なのだろうか?また、今まで「カタロニア」とぼくなどは言って来たけれど、これはスペイン語(カスティーリャ語)ですかね?フランス語は「カタローニュ」la Catalogne だな……。

2011年2月2日水曜日

岩波文庫

ちなみに今日買った岩波文庫は、伴蒿蹊『近世畸人伝』(柿沼さんの本を読んだ時に思い出して、もう一度読みたくなったが、これもまた恐らくモンペリエの屋根裏に埋もれている)、竹内玄玄一『俳家奇人伝・続俳家奇人伝』、齋藤月岑『声曲類纂』(これも持っていたはずなのだが……)、ルナン『イエス伝』の4冊。

ふたばにかねよ

今出川校地で修論発表会があったのでしかたなく朝から京都市内へ。せっかくなので、その後に鴨川の方に歩いて「ふたば」の豆餅を買いに行く。いつものように結構な行列である。その後はバスに乗って河原町三条、古本のキクオ書店へ。古い版画などいろいろ物色したいがなかなか時間がない。しかし、上質の岩波文庫があり、4冊ほど買う。その後、昼食にまあせっかくだから(こればっかだな)松葉のにしんそばでも、と思って行ったら、なんと閉まっている。水曜休業なのか!しかし、歩いている途中で昔、村上君と一緒に蛸薬師京極のあたりでうなぎ屋に行ったことを思い出した。ぶらぶら歩いていると、見つけた!「京極かねよ」という古い店。かねよ丼を堪能しました。

2011年2月1日火曜日

結婚行進曲

NHK教育の『みいつけた』の中に「イスダンス」というのがあるが、その中で結婚行進曲のアレンジがあった。まずヴァーグナーのそれで始まり、メンデルスゾーンのそれに繋がる。まあ、普通の結婚式でも定番のパターン(新郎新婦入場にメンデルスゾーンでという方が多いかもしれないが)だと思われるが、しかしこれって、ヴァーグナー本人にとっては物凄く皮肉な使われ方だなと思うのでした、ヴァーグナーの強烈な反ユダヤ主義を思うと(メンデルスゾーンはユダヤ人です)。