2009年7月30日木曜日

パリの目玉

境港だけではありません(笑)。

その2

昨日はエリザベートと日本女性作曲家のCDのライナーノートを直し、ゆみさんとモニックの家で練習。モニックにいろいろ教えて貰う。先生に習うなど何十年ぶりだろう。学ぶことは無限にある。

2009年7月29日水曜日

パリにて

昨日の夕方にパリ着。夏休みなので、なかなかの混みよう。子供が多い。フランスの空港は、新しくはなったが、パスポート・コントロールに人がいなくて、延々と並ばされたり(戦時中のユダヤ人よりましと思って我慢)、トイレが異常に数が少なかったり、パリ市内行き電車の案内がなかったり、と日本では考えられない不便さである。しかし、これはむしろ日本の方が例外的らしい。地下鉄や町も人々も実に汚く、夏の暑さも相俟って臭かったりする。しかし、これがコスモポリタンの町パリのよさ、猥雑な、でも夏の夜長をカフェのテラスでおしゃべりにあかす、のんしゃらんさである。いい意味でいい加減だ。

2009年7月27日月曜日

アドルフ

『アドルフに告ぐ』を読んだ(明日出発というのに何だ、とも思うが、出発前に読んでしまおうというのもあった)。ぼくが今住んでいる神戸(正確には芦屋だが)の町の美しさ、そこを舞台にした「ほぼ真実の物語」はとても印象的だ。そして、これがぼくが生まれるほんの15年ほど前の話だとすると、すぐ昨日の話だという感じがする。恐ろしいことだ。そして手塚治虫の才能!!

2009年7月25日土曜日

というわけで、

というわけで、話は前後していますが、パリ第8大学からの招聘で客員教授として行くことになりました。期間は一か月なのですが、2009年〜2010年の学年の第一セメスターということで、最初は2010年2月を希望していたのですが向こうが休みでダメで、1月かあるいはこちらの入試の都合で2009年12月にするか。事態は紛糾中です。来週からパリに行ってフィリップ・ニス(彼が招聘の張本人)と相談します。

2009年7月24日金曜日

Sonatine

上村に来年1月にパリにいるのなら、ロンドンで演奏会をやらないかと誘われた。ルクーとモーツァルトのソナタ、そして間にラヴェルのソナチネを弾いてほしい、と。そこで久しぶりに弾いてみた。いろいろ思い出して、これを桐朋中の同級生の波多野君の家で弾いて、彼の父親が確か国立の先生だったと思うが、感心されたのを思い出したり、ブラスバンドのクラリネットの高二の先輩が突然「ラヴェルが大好きだ」と言って来たり、当時のぼくにはラヴェルは「現代曲」だったから、いろいろびっくりであった。

ある人と

ある人とうまくいく、うまくいかないというのは、その人がもともと「悪意」をもっているならばいざ知らず、お互いに「善意」の人同士であっても、うまくいかないことがあるものだ。これはいかんともしがたいと言えよう。しかし、もう少し考えてみると、たとえうまくいかなくても、それをどこまで「耐えられる」か、ということにもよるのかもしれない。そうして「耐えよう」という気にさせるもの、とは何か。それはそれぞれの人の気質以外のものだ。あるいは人と人とが出会ってそこで生まれるもの(「あいだ zwischen」?)。

2009年7月22日水曜日

Guillot

Séverac の専門家の Pierre Guillot 氏の連絡先が判明。ソルボンヌの Antoine にきいて調べてもらった。彼はいつもいつも役に立ってくれてうれしい。どうも定年後に田舎に帰ってしまったらしいので、まずは手紙を書こうと思う。

2009年7月21日火曜日

20年後

上村とサントリーホールで弾くので、久しぶりに実家に帰り、そういえばクリストフが父親(ダニエル・シャルル)関連の書誌を集めていたと思い出し、大学院時代に『メリメロ』という雑誌に翻訳を出していたのを引っ張り出してみた。1985年くらいからの雑誌だから、20年以上前の話で、読み返してみるとどうもやはり「気恥ずかしい」。これは何なのだろうかと考えてみた。当時の自分は相当背伸びをしていたなというような感慨か……。よく知りもしないことを偉そうに書いていた、とか……?ただ、そこに「うそ」はないと思うし、結局、上村との演奏だってこれも20年以上のものだ。そこに「うそ」はない。というよりも、やはり「実感」としてあるものから出発していることには、ある種の時代を超えた「真実」があるように思える(ただし、その「実感」がどこまで本物か……?しかし、「本物」などあるのか……?)

2009年7月15日水曜日

Ravel

ラヴェルつながりという訳ではないが、彼の若い時からの友人(「アパッチ族」仲間 — なんとこのグループにはセヴラックも入っていた!)で詩人の Léon-Paul Fargue のラヴェルの伝記(Maurice Ravel, Fata Morgana)を読んでいて、「彼は何でも忘れた、バッグ、時計、切符、手紙……」とあって、おお、これはマーラーと全く同じだ、と思ったのでした。マーラーも、「彼はいつも、なくせるものならば何でもなくし、置きわすれた」とナターリエ・バウアー=レヒナーの伝記にあります。そうか!うっかり屋で、何でも忘れたら大作曲家になれる……というのは大間違いですが(笑)。

音楽文献室

音楽文献室に楽譜を返しに行ったら、テーブルに小さな印刷物が。AVライブラリーと共同で利用促進のための情報誌(?)を発行しているのだそうな。そこに、グリコ「ドロリッチ」のCMにラヴェルの《ラ・ヴァルス》が使われていることが紹介されていた。それで思い出したのだが、このCMを最初に聴いた時、鳴り出した音楽はサン=サーンスの《動物の謝肉祭》の「水族館」(だったかな?)だと思ったのでした。最初の3つの和音は全く同じです。そして、またサン=サーンスの和音が一種独特で、それはニーデルメイエール校でグレゴリオ聖歌の和声付けを勉強したからだ、とどこかに書いてあったのを思い出しました。これで、なるほど、と思ったのは、サン=サーンスの《ピアノ協奏曲第二番》の中のあるパッセージです。どこにも行かないような不思議な和音構成。また後ほど(時間があったら)、楽譜入りで説明します。

2009年7月14日火曜日

ルクー

ルクーのソナタを昨日、初めて上村君とあわせたのだが、音楽を「作って行く」体験から生まれてくる「理解」というものが実感できた。これは以前、奈良ゆみさんとセヴラックの歌曲を演奏した時も感じたのだが、「実体験」というものの重要性は強調してもし過ぎることはないだろう。この「理解」体験については、『音楽的時間の変容』でも少し論じたのだが、自分の手で音楽を「つかむsaisir」というような、かなり身体的な感覚だ。そこではモーツァルトが一曲の交響曲を一瞬で頭の中に描き出す、という逸話との類似性について述べたが、その説明に「形式原理」のようなものを持ち出してしまっていた。今はこれは違うと思うようになった。しかし、また「暗譜」とも違う。「暗譜」はその「理解体験」を助けはするが、それが必要十分条件ではない。これを言語化するのは難しい。

2009年7月13日月曜日

パリの屋根の上

ゆみさんのアパルトマンの屋上から見たバスティーユ

2009年7月12日日曜日

déraciné

déraciné という言葉がセヴラックの書いたものに多々あり、どう翻訳するか迷っていたが、姜尚中氏が「失郷者」という言葉を使っていたので、お、これはいける、と思いました。あとでちょっと調べてみると、どうもこれは韓国語由来の熟語らしい。

2009年7月9日木曜日

Finalement...

Finalement, il me semble que c'est décidé : Philippe Nys m'invite pendant un mois en tant que professeur invité à l'Université de Paris 8. Mais mais mais... il faut que ce soit pendant le premier semestre, donc la question se pose : quand ?

2009年7月8日水曜日

もうひとつ

ラフォルグとセヴラックの関係が気になっている。そして、それに関連して堀口大学(青柳瑞穂はその弟子だったそう — これはその孫である、いづみこさんから先日聞いた)。à suivre

Boulez

これも同じダールハウスの本の中で見つけたのだが、ヤナーチェクやムソルグスキーの「speech melody」と古いタイプのオペラのレチタティーヴォを混同してはいけない、それはブーレーズがしたような間違いに陥る、という。そこでのレフェランスが、Boulez, Anhaltspunkte とあって、これはおぼろげながら Points de repères と思うが、件の箇所は未調査。よって à suivre。

2009年7月7日火曜日

シューベルトとブラームス

なかなか画像の操作が難しくて、ばらばらになってしまいましたが、次と次の楽譜の写真を見ながら読んでください。シューベルト《楽に寄す》は最後の部分で「Hast mich in eine beßre Welt entrükt」(私をよりよい世界へ運んで行った)とあって、その言葉通りメロディーが「G-A-H-C-E」と上がって行くのですが、もう一度この言葉が繰り返されるところでは、「C-E-G-H-C」と下がってしまいます。これは、シューベルトが古典派のスタイルに忠実だからで、そこに上へ上がったら下がって行くというバランス感覚を見て取ることができます。それに対して、ブラームスでは最後に歌詞は「歌声は消えて行く」、森の上方に消えて行くのですが、メロディーは「B-H-C-Cis-D」と上がって上がりっ放しです。これこそロマン派・ロマン主義と言えるのではないか、と思ったのでした。

Brahms


DVC00229
Originally uploaded by rshiina
そしてこちらは、ブラームスの《おお、涼しき森よ》

Schubert


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Originally uploaded by rshiina
シューベルトの《楽に寄す》の最後の部分です。

2009年7月5日日曜日

Dahlhaus

Carl Dahlhaus, Realism in Nineteenth-Century Music (Cambridge U. P., 1982) の中に、プッチーニの《蝶々夫人》などは結局「リアリズムなのだ」、ただそれはヨーロッパ社会に対する批判としてのリアリズムである、と述べられている。現状批判としてのエグゾティスムというので、たとえばドビュッシーのエグゾティスムは「内面化」されたものだ、と昔論じたことがある(岩波の講座)が、これをその線で考え直してみることもできよう。

2009年7月3日金曜日

Séverac

セヴラックは相当いわゆる「bon vivant」というような人だったらしい。食べるのも、飲むのも大好き、仕事よりも昼寝が好き、といった具合。ドイツ音楽に対してフランス音楽の(むしろフランスの地方の音楽の)優位を語りながら、ドイツ風の弦楽四重奏曲やソナタや交響曲がやたら長たらしい、それは「まるでワインのない一日のようだ」と述べている。笑いました。

Baudelaire

阿部良雄先生のことを書いたからというわけではない。Michel Faure, Musique et société du Second Empire aux années vingt (Flammarion, 1985) を読み返していて、ボードレールにぶつかった。ボードレールの『1840年のサロン』の中の言葉らしいのだが、芸術を論じるには「partiale, passionnée, politique」であるべきだというのがそれで、我が意を得たりという感じ。そして、「それは狭いけれども、より幅広い地平を広げてくれる」のである。C'est ça !

2009年7月2日木曜日

Odi

Odi et amo というラテン語の格言。愛憎半ばするとはよく言われるが、憎しみもまた愛であるところが、非常に厄介だ。ほっといてくれ、fiche-moi la paix ! というのは通用しない(故阿部良雄先生の研究室には、この言葉が書かれたカード・ケースがあったのを覚えている。もちろん、カード fiche の独り言である。)