2011年12月31日土曜日

大晦日

大晦日である。朝から買い物(食料 — もちろん蕎麦! —、本雑誌、花)、掃除、洗濯、読書、子どもとゲーム(オセロと動物の森)、しかし昨晩もそうだったが家人が病院から緊急呼び出し、子どもたちに蕎麦を食べさせながらこちらは「一刻者」お湯割り、しばらくして家人帰宅、一緒に蕎麦を食べ、《第九》を視(聴)(何年ぶりだろう)、子どもを風呂に入れ、ほっと一息。あと数時間で今年も終わり。皆さん、よいお年を。そして来年もどうぞよろしく。

2011年12月30日金曜日

ベートーヴェンの生涯

ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』(片山敏彦訳、岩波文庫)読了。ベートーヴェンの作品1からすでに耳が聴こえなかったという指摘。そして《田園交響曲》の「鳥の鳴き声」などの描写は「描写」ではない、なぜなら彼はまったくそれらを聴くことができなかったからだ、という主張は興味深い。ベートーヴェンの『手記』より「静寂と自由とは最大の財宝(1817年)」。しかし考えてみると、この時にはすでにベートーヴェンの耳は聴こえなくなっていたはず。してみるとこの「静寂」とは?

ショパン

雑誌『ショパン』に拙著の書評が出たと言うので書店で購入したら、2011年12月号だった。書評掲載は2012年1月号だったらしい……、うーん……。

2011年12月29日木曜日

さよならコンサート

いずみホールに、アンサンブル・ルペガーズ「さよなら2011コンサート」というチャリティコンサートに行って来た。南森町のモーツァルト・サロン関連の音楽家たちが集まって年末に演奏するというもので、もう8年間続いていると言う。そして何と!指揮はモーツァルト・サロンの持ち主である建築家の飯田精三氏である。氏が京大オケでチェロを弾いていたということは聞いていたが、指揮もするとは知らなかった。なかなかの指揮ぶりである。曲目は、シューマン《交響曲第三番「ライン」》、シューベルト《交響曲第八番「未完成」》、チャイコフスキー、《序曲「ロメオとジュリエット」》。後二者はよかった。シューマンは難しいのだろう。隣りに座った高校生だか大学生だかは、シューマンの一音目からずっと眠りこけていた。毎年モンゴルのホームレスの人々にゲルを送っており、今年は東日本大震災もあったことから、そちらにも援助をすると言う。沢山人も入っていたし、演奏も終わりになるにつれ盛り上がって、なかなか「大阪人の心意気やよし」という感じであった。

怖いパンダ

怖いパンダ遊具(笑)!

これはすでにパンダではない!(というよりもともと間違っている……)

明治の音

内藤高『明治の音』(中公新書)読了。下駄の音と日本家屋の音響浸透性については、すっかり失念していた。よく考えると建築家たちだって、居住空間の音響についてはきっと何か考えているのだろうが、よく知られていない気がする。しかし、これは重要ですぜ、ぼくにとってはほとんど最重要だ(パリのアパルトマンでは常に騒音に悩まされていた)。それと、ラフカディオ・ハーンが、ロンドンで聴いた一少女の「おやすみなさい」の「声」に対して持つ「不可思議な喜びと痛みの交錯した二重のおののき」。「たった一度耳にしただけの声がこれほど魅力的にひびくのは、そこに幾千万の忘れられた人生の記憶が重なり合っているからだ」(138頁)。まさしくそのとおりだ!

作家たち

三宮で本を買う。アーダルベルト・シュティフター、アラン=フルニエ、レーモン・ルーセルらの本(それぞれ『水晶』、『グラン・モーヌ』、『アフリカの印象』)。帰って楽しみにぱらぱらと見ていたら、これら三人共に非業の死を遂げた作家であったことに気が付き愕然。

2011年12月27日火曜日

鶉衣

横井也有『鶉衣』(上下巻、岩波文庫)読了。夜寝る前に少しずつ読んでたら遅くなった。日本語の詩で韻を踏んでいるものが江戸時代からあったことに新鮮な発見。しかし、解説を見てみると、「仮名詩は支考が『本朝文鑑』や『和漢文様』において創始し、美濃・尾張方面では盛んに受け継がれていた」と言う。(ただ也有は『本朝文鑑』に対して、批判的な言辞があった。)どれも漢詩の五言絶句やら七言絶句やらを手本にしている。なかなか興味深い。

2011年12月26日月曜日

波の記譜法

ピエール・マリエタンから来年の「音のエコロジー」国際学会に参加してくれという突然の頼み(東京のホテルで電話を受けたのでした)なので、何かよい材料はないか、と何十年ぶりかで小川博司ほか『波の記譜法』(時事通信社)をざっと読み直す。う〜ん……、確か小沼さんも環境音楽関係の施設が古びている、みたいな話を書いていたようだったけれども、どうも環境音楽関連の言説も今となっては古びて見えてしまう。ぼく自身に興味があって、面白みが多少ともありそうだなと思うのは、日本の「伝統的な」(と言われる)音の環境であったり、音の装置であったり(これは「文学的装置」であるかもしれない)、そういうものの間の関係を確かめること、かな?これにうっすらと関係ありそうなのが田中直子氏の論文だけれども。彼女は今はどのようなことをやっているのだろうか?

終わった

稲田先生のはからいで、三日間あるはずの冬期講習が今日の一日だけで「お役御免」になりました。やったー!これで本年の「お仕事」はとりあえず全て終了です。お疲れさまでした。

2011年12月25日日曜日

クリスマス礼拝

昨夜は劇ありのクリスマス礼拝(娘たちは天使役で登場。ちなみに去年は天使と羊でした。途中で羊が一匹脱走したので、羊より羊飼いの方が多くなってしまった)。今日の礼拝は歌がメインでした。私はピアノ伴奏。昨夜は190人ほどが入っていたとのこと。椅子を足したり、満員でした。指揮・歌の寺田さん、聖歌隊のみなさん、おつかれさまでした。

2011年12月24日土曜日

Cortès さんから

Cortès さんから詩と写真。

Hem bastit el pessebre en un angle
del menjador, sobre una taula vella,
el pessebre mateix de cada any
amb la mula i el bou i l’Infant
i els tres reis i l’estrella.

Hem obert innombrales camins
tots d’adreça a la cova.
amb correus de vells pelegrins
–tots nosaltres– atents a l’auster caminar de la prova.

I en la nit del misteri hem cantat
les antigues cançons
de la mula i el bou i l’Infant i els tres Reis i l’estrella.

I oferíem la nit amb els ulls i les mans.
I cantàvem molt baix, amb vergonya potser de saber-nos germans
de l’infant i de tots en la nit de la gran meravella.

(Miquel Martí i Pol. Nadala)


Bon Nadal i feliç 2012

2011年12月23日金曜日

『レコード芸術』2012年1月号

『レコード芸術』2012年1月号に拙著評が載りました。評者は濱田滋郎さんです。

芦屋ジュンク堂にて

吉田秀和著書と並んでおります。ありがたや……

2011年12月22日木曜日

最後の最後で

今年最後の授業だったが、最後の最後でケチがついた。JR神戸線が事故でストップ。甲子園口駅で電車がびくとも動かない。阪神で振替輸送するが、阪神の駅までバスは自腹だと。よく暴動など起こらないな、大阪だったらどうだろう?

最後の授業

まるでドーデだね。いよいよ今日は今年最後の授業だ!しかし、しかし……、来週にはまだまだ冬期講習なるものがあるのであった、やれやれ……。

モンポウ未刊歌曲

モンポウ未刊歌曲を聴いてみると、どこかで聴いた音楽が多い。彼の《プレリュード》だ。そう言えば、チェロとピアノのための《橋》もピアノ・ソロの「編曲」だし、そのピアノ・ソロ版の中には《ドン・ペルリンプリン》の一節がある(どちらが先かな?)。ところで、彼のカンタータの楽譜が「ある事情で」絶版になっているらしいが、どのような「事情」なのだろうか?

2011年12月18日日曜日

授賞式

昨日は水戸芸術館で吉田秀和賞の授賞式。とても素晴らしい式でした。あの、雲の上のひとである!吉田秀和さんに直接にお会いし、お話できて、感激!海老澤敏先生も(御自分の車で!)駆けつけてくださり、ご挨拶してくださった。やはり感激!他のみなさんも友人・知人そのほかのひとたち、わざわざ遠い所をお集まり頂いて感謝感謝です。その後の新ダヴィッド同盟演奏会も素晴らしい熱演でよかった。

2011年12月15日木曜日

20世紀を語る音楽

アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』(柿沼敏江訳、みすず書房)読了。アメリカやイギリスのことはよく知らなかったので勉強になった。特にレッドパージのこととか、ブリテンのこと。ジャクリーヌの映画の登場人物たちも多数出演し、理解が深まった。この間読んだ岡田氏の著書を補強できるだろう。ここでもまたフランスのことが弱い気がするけれども、これは単にぼくが(余計なことを?)知っているからだろう。日本のことについては、多分秋山氏や長木氏の著書が補っていると思う(まだちゃんと読んでいない……。ありていに言えば、今のところ、それほど興味がない — 貴志康一関連で多少読んだけれども — これは頼まれ仕事)。広大なパノラマ。そうそう、ゲイ文化についても面白かった(あとがきで、著者の「夫」のことが言及されていて「ふーん」、原語は何でしょうね)。

なぜ

こうもオーヴァーブッキングの嵐?ジャクリーヌ映画、ブリュンヒルド新曲、出張講義、大学定期演奏会(昨日)、卒論提出(どうして皆直前になって添削頼むか)、吉田賞授賞式、その後クリスマス礼拝ピアノ伴奏。これに先日の義父の不幸もあり。まさしく教師は走るのであった。

2011年12月14日水曜日

園部

駅を背に見える荒涼たる風景。ここからタクシーで一時間!の山の中である。京都府立北桑田高校。

出張講義

園部なう。いやはや、遠い……。

北海道新聞改

北海道新聞の記事がとても小さかったので、大きくなるかどうか、ちょっとやってみました。
どうでしょう?

承前

そうそう、それから書き忘れたが、『プリズムの色』の中でいろいろなミュージシャンたちが演奏しているわけだが、特にポーリン・オリヴェロスとメレディス・モンク(そしてテリー・ライリーも)は特に亡きダニエル・コーへのオマージュとして演奏している。メレディス・モンクについては、そうだろうと思った、というのも、彼女は「最後の息、the last breath」と歌い、途中でそれをフランス語でも「dernier souffle」と歌うのである。また常にジャクリーヌの影が(実際に彼女自身の映像もあるが)感じられ、特にフィリップ・グラスがピアノの演奏を途中でやめて、こちらを向いて語りかけているのは、彼女に話しているのだ。この映画が単なるジャーナリストによるインタビューとかルポルタージュとまったく異なるゆえんである。真の友情の証。

フェラーリ/コー3

昨日は京都今出川同志社寒梅館で映画上映三日目。ぼくは授業があったので、途中のトークから参加。ジャクリーヌ、ブリュンヒルド、ぼくというメンバーでのトークだったが、やはりほとんどジャクリーヌが話していた。トークでは話しきれなかったが、『プリズムの色』でのダニエル・コーの映像は、彼(と彼女)がすでに自らの死期を悟った時に撮ったものだと。そして死後にこのような映画を作るという意図がすでにあったという。他にもいろいろな映像があったのだが、やはり余りにも衰弱した姿は残したくなかったらしい。映画で使われた映像もジャクリーヌによれば、すでに病の影がはっきりと写っている。ダニエルが亡くなる数時間前にジャクリーヌに遺した言葉も感動的だ。「毎日、楽しみなさい」Chaque jour, réjouie-toi... まさしく音楽を愛し、人生を愛した、ダニエル・コーらしい言葉だ。この言葉が彼女のその後のささえにずっとなっていると言う。

2011年12月13日火曜日

北海道新聞

北海道新聞にもこの間のインタビュー記事が載ったらしい。記者の関さんからメールでそのコピーが送られて来た。

フェラーリ/コー二日目

昨日は神戸アートビレッジセンターで『プリズムの色……』。ちょっと前に入り、食料など調達。また直前上映の『グレン・グールド』を見る。伝記的なことは興味なかったが、意外と普通の人で、親近感を覚える。さて、ジャクリーヌ映画。トークは柿沼さんとジャクリーヌ、その間でぼくが通訳という形。昨日よりもたくさん人も集まり、とても盛会。字幕も西原さんの努力で画質を維持しつつ、うまく入っていた。(ただ作った本人から言えば、もっといい訳ができたかも。DVDを作ると言うので、もう少し完成形を作りたい。)観客のみなさんの若さ、熱心さに感心(ジャクリーヌも)。松葉氏や石堂さん、青山さんも来てくれた。(太田さんも学生たちを連れて来てくれていたらしい。)しかし本当に今回は下田さんや小島さん、石上君などのおかげでこのように成功できた。感謝感謝である。村上君はまだまだエスコートの仕事が続く。これもありがたい。上映後、神戸駅近くで皆で食事。下田さん、藤枝さん(お初にお目にかかりました)、柿沼さん、ジャクリーヌ、石上君、小島さん、ブリュンヒルド、村上君、岡本君、家内、わたし、というような超豪華(?)メンバー。

2011年12月12日月曜日

フェラーリ/コー第一日

昨日は大阪のコーポ北加賀屋で、フェラーリ/コー映画上映の第一日目。ホテルにブリュンヒルド&ジャクリーヌを迎えに行き、北加賀屋へ。エレヴェーターに気を取られ、出口を間違える。二人を無駄に歩かせてしまった。会場はほぼ満員で、トークと上映無事に終了。会場からの質問など反応もよく、非常に興味を持って注意深く視/聴きしてくれた、とジャクリーヌ本人もたいへんに喜んでいた。キャロサンプの野田さん(初めてお会いした)は、わざわざこの日だけのために東京から。最終新幹線で帰るという、すごい!大倉さんも小路さんも来てくれた。終了後、フランスのお二人、野田さん、村上君、現場撤収後下田さん、小島さんも合流し、食事。

2011年12月10日土曜日

植物など

何だか急に寒くなって来たので、ベランダの植物のうち寒さに弱そうなポトスとガジュマルを家の中に入れる。すでに夜来香とエンジェルズイヤリングは入っている。しかし、ピアノのそばに置くのはよくなさそうなんだよね、植物の湿度が。こうして家の中が徐々にジャングル化するのであった。
今日の昼には元町旧居留地へ出て、子どものスキーウェアのようなものを購入(LL.Beans と Mont Bell)。ルミナリエがあるので、すでにけっこうな人出である。
その前に昼前後には村上君からブリュンヒルドとジャクリーヌを関空で拾った、との連絡。無事に着いてよかった。村上君は彼女たちを大阪グランヴィアまで誘導したとのこと。明日からは(彼女たちも、ぼくも、その他の皆さんも)強行軍である。(大阪、神戸、京都 etc.etc.)
そして夜、さきほどバルセロナの福島さんから El Pont の楽譜とモンポウの未刊歌曲集のCDが届く。

パンゲ先生墓碑銘

ふと思い出した。サルラ Sarlat にあるモーリス・パンゲ Maurice Pinguet 先生のお墓にはこのような墓碑銘がある。彼自身の言葉である。
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
(試訳:人は一人で死んで行く。しかし、人は一人では死なない。引き裂かれる哀しみだ。)
死ぬ時は一人だが、周りに残された者たちは、引き裂かれるような哀しみに沈む。

2011年12月8日木曜日

毎日新聞

本日の毎日新聞京都版に先日のインタビュー記事が載りました。けっこう大きい!

2011年12月7日水曜日

貴志康一記念室その他

『貴志康一と音楽の近代』の書評を書き終わり、『比較文学』編集部菅原氏にメールで送る。しかし、けっこう批判的な言辞を弄してしまったので、どういう反応があるか、と気になったりして……。(そんなんなら批判しなきゃいいのに、という影の声が。でもしちゃうんだよねえ。)おぼしき事云はぬは、腹ふくるるわざなれば、云々(^_^)

吉田賞その他

17日が吉田秀和賞の授賞式なのだが、30分のスピーチというのをしなければならない。水戸芸術館の人も言っていたのだが、何か特別なものを皆が期待していると言う。この間、宮澤さんにお会いした時も前の受賞者として、やはり何か普通には見られないヴィデオとか聴かれない録音とかを持って行くものだ、などとも言われ、そんなものを持っていないぼくには、どんどんとハードルが高くなって行くのだった。わ〜〜、どうしよう?ピアノを弾こうとは思うのだが、それ以上の何か「これ」といったものがないのであった。いやはや……。ところで、明日の毎日新聞京都版にこの間のインタビュー記事が載るのだそうです。みなさま(京都のみなさま)ぜひ御覧あれ(ってぼく自身はどこで手に入れたらいいんだろう?学校かな?)

2011年12月6日火曜日

貴志康一記念室その他

昨日は、朝に甲南中学・高校の中にある貴志康一記念室に行って、《交響曲「仏陀」》のスコアを調査、記念室刊の楽譜を購入。石川保則先生、内野順子さんがていねいに対応してくださった。その後、午後は元町で恒例のスペイン語。その後すぐに、北加賀屋へ行って映画上映打ち合わせ、下田さん・小島さん・村上君。なかなかコーポは寒い。また地下鉄駅からの道順をどう指示するかで頭をひねる。その後、下田さん・村上君と梅田に出て、一杯。

2011年12月4日日曜日

津軽

津軽からのリンゴ。

2011年12月3日土曜日

マイナー音楽を語る

ゆうべは京都河原町三条の Media Shop というところであった、宮岡秀行・細川周平・渡邊未帆「マイナー音学を語る」に行って来た。大里俊晴について語るというもの。未公開映像ということで1989年に大里さんがパリのスウェーデン館でやった即興演奏のヴィデオ。これはぼくが大学助手に就職してパリを離れてからの映像だと思われ、毎年確か秋か冬にスウェーデン館に住む音楽の学生が「発表会」みたいなのをやったものの一部でしょう。トランペットの映像も他にあるというので、まだマンソン君はパリに残っていたと見える。彼の叔父さん関係で大里さんがフルクサスになった話は彼の本の中にありますね。いろいろな話がある中、大里さんのフェティッシュな面、フェイクな面が強調されたきらいがあるが(もちろん彼が誰にも愛されたというのも含めて)、ぼくとしては彼がものすごく「真面目な」人だったことも語りたかった。学問的に「王道」を行こうとした人だったと。聴衆の中に鈴木創士さん、寺井昌輝さん、鈴木昭男さんもおられました。うち鈴木さんお二人は初めてお目にかかった。(行く道すがら河原町の古本屋で、Rencontres internationales de Genève というのの報告書 La vie et le temps - Les générations dans le monde actuel, La Baconnière, Neuchâtel, 1962 というものを手に入れる。書いているのは、Paul Chauchatd, Jean Piaget, Michel Ralea, Claude Autant-Lara, Louis Armand。800円!)

2011年12月2日金曜日

グレインジャー

昨日は、京都文化博物館で「没後50年記念グレインジャー音楽祭2011」を見た/聴いた。授業があったので前半のドキュメンタリー映画『高貴なる野蛮』は途中からしか見られなかったが、実際のグレインジャーの映像や音(楽)に接することができたのは貴重な体験だった。後半のペネロピ・スウェイツ女史の演奏も素晴らしかった。《シェパーズ・ヘイ》、11歳の時の作品《前奏曲》二曲(すごい!)、《楽しい鐘の音》(バッハの編曲、これも面白かった)、《ストラススペイとリール》、《美しく新鮮な花》、《デリー州の調べ》(ロンドンデリー)、《スプーン・リヴァー》、《?》、《到着ホームの鼻歌》、《婚礼のララバイ》、《ユトランド民謡メドレー》、《植民地の歌》、《ストランド街のヘンデル》と盛りだくさんでした。彼からの影響はきっとナイマンやジェフスキーにあるぞ、と思わせた。アングロ=サクソン系ですかね。バルトークやセヴラックとはかなり違う。宮岡さんや上野さん、細川周平夫妻も来ていた。終了後はロイヤルホテルでレセプション。宮澤淳一さんと初めてお会いし、いろいろ話ができてよかった。

2011年12月1日木曜日

季刊『アルテス』

季刊『アルテス』が届いた。「3・11」特集をざっと読む。一番共感できたのは、ピーター・バラカン。ついでその極端なペシミズムを除けば高橋悠治と、その形而上学を除けば三輪眞弘。他の人達はみんなすごく「芸術」を信じているので、びっくりした。翻ってぼく自身にとって音楽とは何かを考えた。やはり、この辛い生をなんとか生きていくための一手段なのではないだろうか。いや生きている以上必ずついてまわるようなものか。これは「芸術」とも言えないと思うし、「癒し」とも違う。