昨日は、村上君と岡本君を招んで、博多名物鶏の水炊き忘年会。今日は、バルセロナのゆみさんと彼氏のパトリック君が昼に来た。千客万来の今日この頃である。その間に、さまざまな仕事を終える(含年賀状)。
これは村上君がお土産に持って来た「おいらせ黒にんにく」。彼とブリュンヒルドさんがたまたま神戸のレストランで同席になった人がその関連の人(柏崎青果)で、後で送ってくれたのだと言う。とても甘く、フルーツのよう。
そして、これは前菜にした「あゆのひらき」。初めて食べたが、とても上品なもの。岐阜のものらしい。
そして、最後はお決まり(?)の「いづみの逆さ吊り」(笑)。あゆみがおねえちゃんを助けようと、村上君のお尻を叩いています。
2012年12月30日日曜日
2012年12月26日水曜日
音楽を作る人に聞く?
音楽を作らないのに、Cap Kobe の「音楽を作る人に聞く?」に出演することに。でもまあ、「?」が入っているのだから、これが「音楽を作る人?」にかかっているということにしよう。(わけがわからない?)
http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2012/12/16102201.html
http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2012/12/16102201.html
武蔵野美術大学での講演
武蔵野美術大学でブリュンヒルド・フェラーリ女史の行った講演(私は聞き手)の「おこし」がアップされました。貴重な証言がいくつもあります、ぜひ御覧ください。
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2012/12/24/213832
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2012/12/24/213832
2012年12月25日火曜日
多忙は続く……
多忙な日々は、授業が終わり、クリスマスが終わっても、続いてるのであった。戸籍や住民票のスペイン語訳(依頼したものを自分で整理)、松平原稿フランス語版のチェックの直し、明日からの冬期講習会の準備……、ああ、ケージ関連文献紹介もやらねば(これは正月にするか)、そして、そして、年賀状が………。
2012年12月24日月曜日
クリスマスイヴ礼拝
今日は神戸のバプテスト教会で、クリスマスイヴ礼拝。昨日はクリスマス礼拝(付愛餐会)。今日は一般の人も多く来られ、例年のように、さまざまな歌が歌われ(私はピアノ伴奏)、イエス生誕の劇が子どもたち(今年はいづみが天使ガブリエル)によって演じられた。
2012年12月22日土曜日
2012年12月20日木曜日
超多忙(師も走る!)
Super-occupé (même le maître court !). というわけで、朝から授業をした後、大阪府庁の中にある外務省大阪分室におもむき、戸籍謄本のアポスティーユというものを申請。その後、ササヤでバッハのスタディ・スコア(《イギリス組曲》と《パルティータ》)を買って、芦屋駅で年始の新幹線の時間変更をして、その足で芦屋ラポルテの中の市役所出張所で住民票をとる。そして、コープで今夜のポトフと一緒に食べるべきパンを購入して帰宅。するとポストには海外旅行保険の申込書がはいっており、それをしかるべくしたため、その後マリアテレサにスペイン語翻訳の件について問い合わせ(うまくできそうだ)。
2012年12月19日水曜日
Froment-Meurice, Les Intermittences de la raison.
Marc Froment-Meurice, Les Intermittences de la raison. Penser Cage, entendre Heidegger,
Klincksieck 1982. 再読。まあ、ていのよい優等生ノルマリアンの作文ですな。頭はいいし、よくいろんな物事を知っているし、それらをうまーく結びつけることができる。ケージを考えて、ハイデッガーを聞く、なんてグッド・アイデアですよね。よいアイデアを、広範な知識と結びつけて、はい、いっちょあがり。でも、つまらない。これは、ジャック・アタリにも言えること。しかし、これは自戒の意味も込めて。ぼくの『音楽的時間』も『狂気の』もそんな面がなきにしもあらずだから。(ぼくは、彼らほど頭もよくないし、知識もないけどね。)だから、そんなんじゃない『セヴラック』が吉田先生に受けたのだと思う。
2012年12月17日月曜日
2012年12月16日日曜日
私学連合音楽会
朝のうちに投票を済ませ、三宮国際会館に私学連合音楽会へ。いづみが、一二年生のみんなを代表して曲目のアナウンスをする(《にじ》と《ゆめびより》)。その後は、いずみ・あゆみのパスポートを受け取り(ちょうど同じ建物でよかった)、近くのデュシャンで昼食をしようと思ったら今日は貸し切り!残念、ということで、お向かいの神戸市役所展望台レストランへ。帰宅後は、年賀状印刷と松平CD解説執筆。そしてパオラで散髪。何と多忙な!
2012年12月13日木曜日
Contes magiques
ゆみさんのパリの家の近くのアリーグルの市場で古本も売っていて、何度か本を買ったのだが、その中の一冊、Louis Laloy, Contes Magiques, d'après l'ancien texte chinois de P'ou Soung-Lin (l'Immortel en exil), L'Edition d'art, 1925. を(ペッソアを読み終わったので)、夜寝る前に読み始めた。ラロワが中国学者でもあったことは知っていたが、こんな仕事もあるんだなあ、という興味くらいからだが、改めて P'ou Soung-Lin とは誰だかが気になって、いろいろ考えてみて、思い当たった。蒲松齢ですね、あの『聊斎志異』を書いた。多分そうだろうと思うが、まだ少ししか読んでいないし、『聊斎志異』もいちおう昔角川文庫版で全部読んだけど、覚えていないものなあ。しかし、蒲松齢が「不滅の亡命人(亡命中の不滅の人だけど)」というのは、なんだろう?
2012年12月11日火曜日
Pessoa, Oeuvres poétiques
Fernando Pessoa, Oeuvres poétiques, Gallimard (coll. Pléiade), 2001. 終わりの方は、飛ばし飛ばしだったけれども、いちおう読了。これだけの量で、まだまだ全部ではないのだから、すごい。従って、多様性も。単なるマイナーポエトではないね。しかし、ますますこれからはイベリアだろ、という感あり。そう言えば、昨日はスペイン語の前に兵庫県警まで行って、指紋を採られて来た(!?)、いやいやビザ申請用に「無犯罪証明書」というのが必要で、その申請時にそんなことをされるのです、いやはや。(いちおう、証明書発行後にはその記録は破棄されると書いてはあったが……。)
2012年12月9日日曜日
教会で(付:奈良ゆみたゆたう詩と音色)
今日は朝から教会に。午前中は礼拝。昼ご飯は近くの六甲荘でとり、午後からクリスマスの聖歌隊の練習。昨日は、モーツァルトサロンで、奈良ゆみさんの「たゆたう詩と音色の響き」と題されたショーソン(《蝶々》、《温室》、《オフェーリア》、《キャラバン》)、ドビュッシー(《マラルメ》、《忘れられた小唄》)、メシアン(《天と地の歌》)のリサイタル。ショーソンはなかなかよい。ちょっと「くすんだ」デュパルクといった体。基本はロマンである。メシアンはいつものメシアン節。東京から、沖縄から、わざわざ聴きに来る人あり、さらに東京でゆみさんが知り合った姫路の(!)市職員さん。
2012年12月7日金曜日
Bosseur, John Cage. & 『歴史としての音』
Jean-Yves Bosseur, John Cage, Minerve, 1993. と上尾信也『歴史としての音』(柏書房、1993年)読了。Bosseur の方は再読だが、あらためて巻末のインタビュー集の面白さに感心。まあ、それも、最近、ジャクリーヌ・コーの映画でその録音部分があるのをよく聞いていたからだろう、とも思うが。ダニエル・コーとボッスールのインタビューのトーンの違いもちょっと面白かった。上尾著書は、題材は面白いのに、そしてそこここに興味深い記述もあるのに、日本語がいけない。これは編集者の責任でもあるだろうが、誤字脱字どころか、言い回しや助詞の間違いなどのオンパレードで、すっと読もうにも突っかかってばっかりなのだ。ひいては、大事な資料の価値も正しく表現されないので半減である。残念!さらに言えば、もう少し、つっこんだ考察も欲しかったな。イエーツとかも少々出て来ているんだから、ネオプラトニズムだのなんだの、飛躍してもよさそうだが……。
本が……
持っていたと思っていた本が無くなることがある。おおかたの原因は度重なる引っ越しだと思う。つまり、小平→パリ→小平→駒場→パリ(大学都市→リュナン通り)→小平→阿佐ヶ谷→パリ(13区二回→5区)(→モンペリエ)→京都→芦屋と、この間に第3回目のパリでは地下倉庫(cave)の湿気と盗難でやられ、モンペリエでは洪水被害に見舞われている。Hélas.....
2012年12月5日水曜日
2012年12月2日日曜日
A faire
A faire ce mois-ci :
1) Pour le CD de Matsudaira;
2) Pour la revue Artes (interview de Jo Kondo, biblio sur John Cage);
3) Passports de Izu et de Ayu.
1) Pour le CD de Matsudaira;
2) Pour la revue Artes (interview de Jo Kondo, biblio sur John Cage);
3) Passports de Izu et de Ayu.
2012年12月1日土曜日
Cage in and again
前の投稿で「Il treno de John Cage」と思い込んでいたのは、実は「Cage in and again」という、1970年11月にLes Halles で行われたケージのミュジサーカスの記録だった。そして、どうもその一週間後に「イル・トレノ」が放送されたらしいのだが、これはぼくが一週間間違っていたのか、フランスの放送にありがちな、突然の放送変更なのかは知る由もない。だいいち、今まで(20年間も!)きちんと聴き直していなかったわたくしがすべて悪いのでございます。しかし、録音レベルの問題も、単にもとのカセットデッキの音量を上げればよかったようで、後は、ガレッジバンドのフィードバックがうるさく表示されるのをいちいち消さなければならないのを除いては、完璧にCDにすることができた。嬉しいですっ!
Il Treno de John Cage
1992年12月27日20:30からラジオ・フランス(フランス・ミュージック)で放送された「Il Treno de John Cage」(これ自体が1978年の再放送)をエアチェック(おお、死語?!)して持っているのだが、カセットなのでCDにしたいと思い、behringer の U-Phono UF0202 というのを購入し、GarageBand を使ってやってみた。しかし、思いのほか、録音レベルが低く、うーむ……。これはどうしてだろう?そう言えば、明日には京阪電車でやはりプリペアード・トレインが走るはずだが(大倉さんからも案内あり)、明日はいづみの授業参観で行けない、残念だ。
2012年11月29日木曜日
L'épinette des Vosges & Mélodies de Debussy
先日の音楽学会全国大会で出店を出していたユニバーサルというCD屋で、Ocora シリーズのフランス篇「L'épinette des Vosges」と「Corse Corsica」を購入。コルシカの方は、分厚い解説書付きで本のようになっている。なかなか面白い曲集である。その間に、Francis Bayer, De Schönberg à Cage : Essai sur la notion d'espace sonore dans la musique contemporaine, 1981, Klincksieck をきちんと読了。これも留学時代に買ったまま、ときどき読み齧っただけだが、きちんと読むと、まあなかなかきちんと書かれた非常に良い本である。バイエールの授業は、パリ八時代に出席していて、ベリオの《セクエンツァ》全曲を、演奏者を呼んで演奏させながら、分析するという授業がすごく刺激的だった。
そして、昨日は奈良ゆみさんの歌で(不肖わたくしめの伴奏とお話しで)ドビュッシーの歌曲についてのレクチャーコンサートでした。すごく遠くからも(横浜からも!!)聴きに来てくれた人がいて、ゆみさんの人気のほどが知られたのでした。演奏は、ゆみさんからも言われたのだが、やっとピアノと歌との間のやりとりができるようになったかな、という感じ(というか、できるようになったので、嬉しいです)。
そして、昨日は奈良ゆみさんの歌で(不肖わたくしめの伴奏とお話しで)ドビュッシーの歌曲についてのレクチャーコンサートでした。すごく遠くからも(横浜からも!!)聴きに来てくれた人がいて、ゆみさんの人気のほどが知られたのでした。演奏は、ゆみさんからも言われたのだが、やっとピアノと歌との間のやりとりができるようになったかな、という感じ(というか、できるようになったので、嬉しいです)。
2012年11月25日日曜日
音楽学会
この土日は、西本願寺の付属の施設で、日本音楽学会全国大会。フランス近現代関係の発表の司会を頼まれた。初めて行ったのだが、西本願寺の境内には大きな銀杏が二本ある。
一本目の銀杏は、なんでも火事があったときに、水を吹いて火を消したそうだ。今日(日曜)は、司会もなかったので、福島さんのアルベニス/マラッツ書簡についての発表と、もう一つモンポウについての発表を聞いた。しかし、この会場というのが、西本願寺モンポウ会館というのらしい?漢字は「聞法会館」である(笑)。
一本目の銀杏は、なんでも火事があったときに、水を吹いて火を消したそうだ。今日(日曜)は、司会もなかったので、福島さんのアルベニス/マラッツ書簡についての発表と、もう一つモンポウについての発表を聞いた。しかし、この会場というのが、西本願寺モンポウ会館というのらしい?漢字は「聞法会館」である(笑)。
2012年11月19日月曜日
センチメンタル・テールズ
17日(土)「センチメンタルテールズ、ヘールシュピールの諸相」本番。実にさまざまな方々のご協力で無事に終了。下田さん、村上君、小島さん、Tazzさん、そしてジーベックの三井さん始め音響・ホール・照明担当の方々、演奏者の石上君、かつふじさん、渡辺さん、お手伝いしてくれた(同女卒業生でもある)高橋さん、横田さん、村上君の友人岡本君、そしてもちろんフランスから駆けつけてくれたブリュンヒルド・フェラーリさん、その他にも関係の人々みなさまのお力添えのたまものであります。しかし、ものずごい土砂降りになってしまったのが、残念でした。しかし、演奏は素晴らしいもので、ホールそして20台のすごいパワフルなスピーカーとあいまって、音響芸術の別世界を作り上げていた。世界初演、日本初演も目白押し。来ていただいた方には十分に堪能していただけたようである。
翌日のきのうは、ブリュンヒルドさん、渡辺愛さん、村上君と神戸。昼食は神戸デュシャン(Ferrari at Duchamp)。その後、明石。うおんたなに、ブリュンヒルドさん感激しておられた。港を見て、夜は神戸の南京町。
翌日のきのうは、ブリュンヒルドさん、渡辺愛さん、村上君と神戸。昼食は神戸デュシャン(Ferrari at Duchamp)。その後、明石。うおんたなに、ブリュンヒルドさん感激しておられた。港を見て、夜は神戸の南京町。
2012年11月15日木曜日
武蔵美と芸大
この間の土日は推薦入試で、月曜日に武蔵野美術大学へ行って、ブリュンヒルドさんとの対話形式による講演。インスタレーション『思い出の循環』について。クリストフ・シャルルが、とても素晴しい設営をしてくれたので、リュックさんの意図がよく理解できるインスタレーションになった。大きな4面のスクリーンが観客を取り囲み、映像が廻って行くなかで、12台のスピーカー(6台のCD)がさまざまに異なった音響・音楽を流して行く。その組み合わせは、一度として同じになることはない。会場の中を自由に歩き回れるために、これは観客が生み出す作品だ。その上、スクリーン上には、観客である我々のシルエットが写り、まるで我々自身が作品の中に参加しているようだ。講演の後は、神楽坂のクリストフの自宅でご飯をごちそうになった。奥様は、デザイン研究をなさっている日本人の研究者。エゴン君という息子が一人。もう14歳という。ダニエル・シャルルが、赤ちゃんだった彼をだっこしている写真を見た覚えがある。いろいろな話で盛り上がる。翌日は、東京芸大の千住キャンパスで、特別講義。これは、西岡先生という方の授業の枠で、アレンジは渡辺愛さんである。ぼくは、通訳に徹しておりました。しかし、始まりが18時で終了20時ということで、最終の新幹線に飛び乗りました。水曜日の一校時目からの授業のため。このような強行軍がたたったのか、のどをやられ、ひどいガラガラ声。木曜のこれからは、同大今出川の寒梅館で、ブリュンヒルドさんのお相手をしなければならないが、大丈夫か?
2012年11月11日日曜日
春秋2012/11
この間の京都でのケージ・コンサートで、柿沼さんから『春秋』2012年11月号を貰ったのだった。今日の入試二日目の通勤途上で電車の中で、読んだ。「現代音楽」を専門にする若い音楽学者が育っていることに、ちょっと安心。以下は感想。
三橋圭介『ジョン・ケージ・ショック』は、よくまとまったケージ思想の紹介。ここから、どう行くか、だね。ケージがニューヨークの音を聴いた、とか、電車の中でぼんやりして音を聴く、とか、から今度はひるがえって(おお、翻る!)、そんな日常で音を聴く体験がなぜ特権的になれるのか、とか、つまり、普通は聴いていないのに、聴いてみるとよかった、というのは、何となく予定調和的なのであって、普通は聴かない、ということは、どういうことなのか、ということを問うてみる必要がある。聴くということは、とういうことなのか。そんな意味で、もちろん、音から意味を聴き取らない聴き方(ケージ)に正反対の、リュック・フェラーリ的な、音には意味がいっぱいあるからこそ面白い、という態度はどうとらえるべきなのか、考えてみよう。音から意味を取り去るというのは、実は、けっこう「前衛的」でブーレーズだって、ある意味で、それを目指しているわけだ。
中川克志『現代音楽の「現代」ってなに?』も、よくまとまって、わかりやすい。ただ、今、仕事の必要があって、フランシス・バイエールの『シェーンベルクからケージへ』をちゃんと読み直しているのだが、彼のように本当にきちんと現代音楽をいちいち分析して行くと、いわゆるヨーロッパ流の「前衛」も、決して一枚岩ではなくて、ブーレーズだけで代表させられては困る、という感じがする。シュトックハウゼンだって、あの人は、千変万化だしなあ。クセナキスは?
そして、柿沼さんの『ケージ以後の音楽』。これもとても要領よく、ポスト・ケージの流れを紹介してくれて、とっても役に立つんじゃないだろうか。グレン・ブランカについては、これも大里さんから教わって、そのもの凄さにちょっとついていけなかったのを覚えている。そして、もちろん、ヴェルヴェットもぼくにとっては大里さんからの御教示である。でも、どうも、ぴんと来ませんでした。今度ちゃんと聴いてみます。すみません、柿沼さん。(でも、イーノは好きですよ。ペンギン・カフェも。この流れに、例のピンク・マーティニー[&由紀さおり]もいる感じですね。)
寒川晶子『ケージを再演しながら考えたこと』では、このようにして、ケージが再解釈されて行くんだな、と思いました。ぼく個人的にはちょっとだけ違和感もないわけでもないが、ケージはいつものように笑っているんだろうな。
三橋圭介『ジョン・ケージ・ショック』は、よくまとまったケージ思想の紹介。ここから、どう行くか、だね。ケージがニューヨークの音を聴いた、とか、電車の中でぼんやりして音を聴く、とか、から今度はひるがえって(おお、翻る!)、そんな日常で音を聴く体験がなぜ特権的になれるのか、とか、つまり、普通は聴いていないのに、聴いてみるとよかった、というのは、何となく予定調和的なのであって、普通は聴かない、ということは、どういうことなのか、ということを問うてみる必要がある。聴くということは、とういうことなのか。そんな意味で、もちろん、音から意味を聴き取らない聴き方(ケージ)に正反対の、リュック・フェラーリ的な、音には意味がいっぱいあるからこそ面白い、という態度はどうとらえるべきなのか、考えてみよう。音から意味を取り去るというのは、実は、けっこう「前衛的」でブーレーズだって、ある意味で、それを目指しているわけだ。
中川克志『現代音楽の「現代」ってなに?』も、よくまとまって、わかりやすい。ただ、今、仕事の必要があって、フランシス・バイエールの『シェーンベルクからケージへ』をちゃんと読み直しているのだが、彼のように本当にきちんと現代音楽をいちいち分析して行くと、いわゆるヨーロッパ流の「前衛」も、決して一枚岩ではなくて、ブーレーズだけで代表させられては困る、という感じがする。シュトックハウゼンだって、あの人は、千変万化だしなあ。クセナキスは?
そして、柿沼さんの『ケージ以後の音楽』。これもとても要領よく、ポスト・ケージの流れを紹介してくれて、とっても役に立つんじゃないだろうか。グレン・ブランカについては、これも大里さんから教わって、そのもの凄さにちょっとついていけなかったのを覚えている。そして、もちろん、ヴェルヴェットもぼくにとっては大里さんからの御教示である。でも、どうも、ぴんと来ませんでした。今度ちゃんと聴いてみます。すみません、柿沼さん。(でも、イーノは好きですよ。ペンギン・カフェも。この流れに、例のピンク・マーティニー[&由紀さおり]もいる感じですね。)
寒川晶子『ケージを再演しながら考えたこと』では、このようにして、ケージが再解釈されて行くんだな、と思いました。ぼく個人的にはちょっとだけ違和感もないわけでもないが、ケージはいつものように笑っているんだろうな。
2012年11月10日土曜日
今日から
今日から二日間、入試。そして、月曜日には、東京に行って、武蔵野美術大学でブリュンヒルド・フェラーリさんとの講演、火曜日は芸大(北千住キャンパス)でやはり同様の講演会。夜のほとんど最終新幹線で戻って来て、水曜日は朝の一時間目から授業。朝5時起きです。そして教授会。木曜日は同志社寒梅館で、土曜日はメインイヴェントのジーベック。さあ、怒濤の一週間です!!
2012年11月9日金曜日
読書感想文
まずプラーツ『肉体と死と悪魔』。これは6月のシンポジウムで同席した高階秀爾先生(勲章おめでとうございます)が、「プラーツのロマンティック・アゴニーは必読」とおっしゃっていたので宿題。しかし、デカダンの作家がこれほど多かったとは。特に19世紀末フランスはほとんど全員がそれ。特に、薔薇十字のペラダンと右翼(?)のバレスもそうだったとは、知らなかった。前者はサティ、後者はセヴラックと密接な関係がある。そして、デカダンの一部分がイギリス由来というのも面白い。次にはコルタサル『秘密の武器』。これは仏訳で読みかけたのだが(「秘密兵器」というものかと思っていた)、これほど面白いとは思わなかった。ちょっと手塚治虫を思い起させたりして(これは多分どこかに共通の根っこがあるに違いない)。最後は山本満喜子『ラテン音楽』。これは三宮の古本屋でたまたま見つけたもの。なんと1963年刊の本である。この山本という人は、山本権兵衛の孫だということで、まあ名家の出ですな。それがなぜか知らないがいきなりアルゼンチンに渡ってしまって、いろいろな音楽に出会う、というわけだが、何しろスタイルが変な女言葉(もしかしたら、当時はかっこよかったのかも)で、「〜やっちゃうのよ」みたいなので鼻につくことおびただしい。その上、表面的には、一般に虐げられた下層階級の人々への同情に満ちているのだが、本人が、どう見ても大ブルジョアでその生き方を変えていないようなので(昔、スイスのレマン湖のほとりで、うんぬん)、説得力に乏しいこと。なんだかなあ、という感じ。スペイン語の訳はどうなのか、ぼくのわかる範囲では、適当にごまかしている感じだけど。
2012年11月7日水曜日
同志社女子大のインスタレーション
いよいよ今週月曜日から始まりました、リュック・フェラーリのインスタレーション『思い出の循環』。もう一度、あのかっこいいポスターを。
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
建物内の中庭に面した窓にも貼られています。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
そばによると、このポスターが。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
John Cage 100th anniversary countdown event 2007-2012 final
というわけで、先日日曜日のニシジマ・アツシ、稲垣貴士、Gak Sato、竹村延和、Haco、村井啓哲、森本誠士、森本ゆり(敬称略、順不同)による、京都アートセンターでのケージ100歳記念カウントダウン。曲は、前半が一階で、Variations VI、後半は二階で、Root of Unfocus、Cartridge Music & Solo for Voice 1、Music for Amplified Toy Pianos、One7 & Inlets、Ophelia。前半は、JCCE Chronicle 2007-2011というインスタレーションが周りにあって、その中での演奏(始まりと終わりは曖昧に、という指示)。聴衆は自由に動くことができる。こういう時には、いろいろと考えることができて、その時にプログラムの端っこに殴り書きしたものがここにある。「無秩序 ― Adorno 現代社会の反映 etc. 聴きにくいだろう、だからこれはそのような社会の反映だ etc. これは音楽ではない、聴くものではない、ただそこに居るというだけのもの ― 庄野の言う立ち会い、cf. Feldman。各々が別々のことをする = 各々の表現? ちがう。生きている証? cf. 近藤譲。それが最もわかりやすいのは、記憶あるいは意味を使うこと、Cycle des souvenirs ― しかし、各人の個性を Cage は嫌った? Musicircus = music + circus 祭り?やはり、その場にいることに意味がある、初詣とか? 周りに最初から流れている4つのビデオ&音響はどうか? 演奏中も存在する。これは Cage の意図とは違うのでは? しかし、意図とは? 変化がないので飽きる → 禅? 飽きたので歩き回る、spectacle 性はあり(音だけでは5分ともたないだろう)、個々の奏者が何をやっているのか具体的に知ることができればなおよかった? → 回るとけっこう楽しい。自らも見られ/見る spectacle 。音響の位置が異なるので、自ら変化を作り出せる → 知人と会うという situation 楽譜の指示だけからではわからない。」第二部も、もちろん十分に楽しめるものでありました。ただ、真っ暗だったので、第一部の時のようなメモはなし。
多忙なので読書
日曜日には京都アートセンターのケージイベント。これについては、後で書く。そして、その間に読み終わった本三冊。コルタサル『秘密の武器』(木村栄一訳、岩波文庫)、マリオ・ブラーツ『肉体と死と悪魔』(倉智恒夫ほか訳、国書刊行会)、山本満喜子『ラテン音楽への旅』(三一新書)。感想は後で。
2012年11月3日土曜日
運動会
下の子の運動会。鳴尾浜の体育館で。親子競技(バトン持ち競争)やら、父親競技(三人四脚)、父母競技(玉入れ)などなど。あゆみは、リレーやら、組体操やら、パラバルーンではりきっていました。終わった後は、芝生の庭で、おばあちゃん特製お弁当。しかし、ちょっと寒かった。前から少し風邪気味だったのだが、本格的に。というわけで、本日の業務は終了とさせていただきます。
2012年11月2日金曜日
サラジーヌ
バルザック『サラジーヌ他三篇』(芳川泰久訳、岩波文庫)読了。『サラジーヌ』は、この訳者と同様、ぼくも、バルトの『S/Z』で読んでいたはずだが、全く忘れていた。パンゲ先生の講義を思い出す。バルトもパンゲ先生も、エコール・ノルマル出で、同性愛者だった(フーコーと一緒だ)。彼らの興味がやはり、男なのに女であるラ・ザンビネッラにあるのは、首肯させられる。パンゲ先生のcompagneは、カナダ人の男性だったが、彼らは共同でサルラの別荘を買ったのだった。そこに、一度、遊びに行ったことがある。パンゲ先生の墓参りをかねて。夏だったけれど、大変な雹が降ったことがあって、それが彼の頭に当たって血が流れたことを覚えている。彼は「空港aéroport」を奇妙に発音するのだった。ぼくが2001年にパリに渡った時に最初に住んだ、13区カンポ=フォルミオのアパルトマンも、彼らの所有だった。真下に理髪店があった(イザベルがぼくの担当だった)のと、裏にブルターニュ出身のインテリ(?)の魚屋があった。
2012年10月31日水曜日
エル・グレコ
エル・グレコ展に行って来た。
このポスターの絵『聖ラウレンティウスの前に現れる聖母』もそうだけれど、幻視の絵がたくさんある。『聖母の前に現れるキリスト』、『聖マルティヌスの夢』、『フェリペ二世の栄光』、『福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り』。特に最後のものは、観る者が聖ヨハネの位置にいて、あたかも一緒に幻視を観ているような気にさせる。当時の反宗教改革の中での、神秘主義的傾向の影響か。イエズス会のロヨラとかザビエルとか、関係があるのだろうか。そして、十字架の聖ヨハネ。要探求である。
帰りがけに、ちょっと川端北をを堂島の方へ行ったら、福沢諭吉生誕の地があった。説明に「大教育者」と書いてあって、ちょっと微笑。
このポスターの絵『聖ラウレンティウスの前に現れる聖母』もそうだけれど、幻視の絵がたくさんある。『聖母の前に現れるキリスト』、『聖マルティヌスの夢』、『フェリペ二世の栄光』、『福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り』。特に最後のものは、観る者が聖ヨハネの位置にいて、あたかも一緒に幻視を観ているような気にさせる。当時の反宗教改革の中での、神秘主義的傾向の影響か。イエズス会のロヨラとかザビエルとか、関係があるのだろうか。そして、十字架の聖ヨハネ。要探求である。
帰りがけに、ちょっと川端北をを堂島の方へ行ったら、福沢諭吉生誕の地があった。説明に「大教育者」と書いてあって、ちょっと微笑。
2012年10月27日土曜日
センチメンタル・テールズ
昨晩は、大阪梅田第二駅ビル某所にて、作戦会議。参加者:下田さん、村上君、小島さん、石上君、Tazzさん、そしてわたくしめ。みな、シンケンに、喧々諤々、鳩首凝議、百家争鳴、ひとまずの方向性画定である。
もういちど、下に引用します。
ヘールシュピール (ラジオドラマ) の諸相 ~ センチメンタルテールズ
ドイツ音響芸術の重要なジャンルであるヘールシュピールの紹介をまとまった形で行う日本で初めての試み
~ リュック・フェラーリの協力者として常に彼の創作活動に寄り添って来た、ブリュンヒルド・フェラーリ (Brunhild Ferrari) との共作として発表された一連の『センチメンタル・テールズ Contes sentimentaux』と、日本側でのヘールシュピールの創作例として、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛の電子音響作品も合わせて、このジャンルの多様な側面を紹介する ~
出演:ブリュンヒルド・フェラーリ、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛
日時:2012年11月17日(土) 開場(16:00) 開演(17:00)終演(20:40)
*開演前にホワイエにて作品上演あり:Luc Ferrari / Brunhild Meyer:Music Promenade (1964-1969)
会場:ジーベックホール
神戸市中央区港島中町7-2-1
tel:078-303-5600
料金:2,000円(定員100名)
主催:センチメンタルテールズ上演委員会
予約問合せ:C.A.P. 078-222-1003/info@cap-kobe.com(担当:下田)
協賛:TOA株式会社
後援:同志社女子大学音楽学科、同志社女子大学音楽学科「頌啓会」
制作協力:株式会社ジーベック
協力:同志社大学今出川校地学生支援課、武蔵野美術大学、キャロサンプ、C.A.P.(芸術と計画会議)
もういちど、下に引用します。
ヘールシュピール (ラジオドラマ) の諸相 ~ センチメンタルテールズ
ドイツ音響芸術の重要なジャンルであるヘールシュピールの紹介をまとまった形で行う日本で初めての試み
~ リュック・フェラーリの協力者として常に彼の創作活動に寄り添って来た、ブリュンヒルド・フェラーリ (Brunhild Ferrari) との共作として発表された一連の『センチメンタル・テールズ Contes sentimentaux』と、日本側でのヘールシュピールの創作例として、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛の電子音響作品も合わせて、このジャンルの多様な側面を紹介する ~
出演:ブリュンヒルド・フェラーリ、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛
日時:2012年11月17日(土) 開場(16:00) 開演(17:00)終演(20:40)
*開演前にホワイエにて作品上演あり:Luc Ferrari / Brunhild Meyer:Music Promenade (1964-1969)
会場:ジーベックホール
神戸市中央区港島中町7-2-1
tel:078-303-5600
料金:2,000円(定員100名)
主催:センチメンタルテールズ上演委員会
予約問合せ:C.A.P. 078-222-1003/info@cap-kobe.com(担当:下田)
協賛:TOA株式会社
後援:同志社女子大学音楽学科、同志社女子大学音楽学科「頌啓会」
制作協力:株式会社ジーベック
協力:同志社大学今出川校地学生支援課、武蔵野美術大学、キャロサンプ、C.A.P.(芸術と計画会議)
2012年10月26日金曜日
ブログ
というわけで、最近ではちょっとでも暇があると、せっせとリュック・フェラーリのブログを書いている。よって、こちらが少々お留守になっていますが。しかし、後から後から書きたいことは出てくるものだ、フェラーリに関しては。ということで、ぜひぜひ、皆さん、こちらのブログを見た後には、そちらにも寄っていただきたい。(というか、こちらの読者の方が少ない、と思う(微苦笑)。)http://d.hatena.ne.jp/presquerien/
2012年10月23日火曜日
STのブログとツィッター
ST(センチメンタル・テールズ)のブログとツィッターが開設しました。さまざまな情報、プログラムについて、出演者について、聴き所、見所などが、続々とアップされます。乞うご期待。
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/presquerien/
ツィッター:https://twitter.com/Ferrari1117kobe
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/presquerien/
ツィッター:https://twitter.com/Ferrari1117kobe
2012年10月22日月曜日
2012年10月21日日曜日
ヤロウ
今日は天気もいいので、朝、校長先生にご挨拶に伺った後で、布引ハーブ園へ。そこで先日、解説を書いた近藤譲作曲《ヤーロウ》のタイトルのハーブを見つけた。
なるほど。頂上では、ドイツ・フェアというので、アコーディオン伴奏のヨーデル歌手という人の歌があった。もちろん、ドイツ・ビール飲みましたよ。そして、季節はコスモスなのであった。
なるほど。頂上では、ドイツ・フェアというので、アコーディオン伴奏のヨーデル歌手という人の歌があった。もちろん、ドイツ・ビール飲みましたよ。そして、季節はコスモスなのであった。
アステアステ
昨晩は、Q2で「アステアステ・イン・コウベ」。インド古典音楽を日没から夜明けまで、一晩中やるという催し。しかし、ぼくは体力の限界で11時過ぎに退散。それまでに聴けたのは、野口昌彦(シタール)&池田絢子(タブラ)、平川麦(サロード)&上坂朋也(タブラ)、すずきなお(ヴォーカル)&カネコテツヤ(パカワジ)、紙芝居の東野健一さん、gumi(バンスリ)&吉田元(タブラ)まででした。どれも素晴らしいの一語に尽きる。即興音楽というものについて考えさせられた。後は、音楽にかけることについて、音の質について、音楽を感じることについて、などなど。下田さんは連日大変そう。アシスタントに卒業生の高橋さんが。なつかしい。
2012年10月20日土曜日
旧グッゲンハイム邸でのライブ
バールさんの旧グッゲンハイム邸でのライブ。アクトコーベの人たちが、多く参加していたとのこと(下田さん談)。ぼくはよく知らないのだが、大変にユニークな人たちの集まりである。出演者は以下の通り。Barre Phillips、斎藤徹、久田舜一郎、稲田誠、森本アリ、Haco、Hiros、石上和也、川崎義博、角正之、東野健一、白井廣美、佐久間新。グッゲンハイム邸も初めて行ったのだが、広い庭のついた(夜だったので海は見えなかったけれど)、とても気持ちのよい洋館である。最初のセッションで、三挺のベースと鼓が共演して(それにアリさんの「雑音」がからむ)、それが塩屋という伝統日本的な場所の西洋館で、西洋のベースと日本の鼓(謡)が聴こえてくるという、外と内がうまく対応しているような不思議な感覚だった。(Hirosさんのカレーの美味しさを言うのを忘れた。彼のレシピ通り作っても、自分ではうまくいかないのに、彼のは美味しい、なぜ?)
2012年10月18日木曜日
ダンディのベートーヴェン
ヴアンサン・ダンデイ『ベートーヴェン』(冨士原清一訳、新太陽社、昭和18年!)読了。以前に手に入れておいたもの。ダンディの反ユダヤ主義とか、王統派思想がよく現れている。まあ、ベートーヴェン(とワーグナー)への帰依もあるけどね。面白かったのは、106頁の注で「audition colorée」という言葉が訳者には、わからなかったのだろう、「音波を色彩に還元する実験会のことか?」と書いている。これは、いわゆる「色聴」のことだろう。ダンディも「synesthésie」という言葉は知らなかった(まだなかった?)と見える。そして、昭和18年の段階では、日本にはそんな言葉(概念も)なかったらしい。(今、ちょっとプチ・ロベールを引いたら、1872年には使用例があるらしい。ということは、ダンディの不勉強!ですな。『ベートーヴェン』の原著は1913年の出版である。)
2012年10月17日水曜日
バール・フィリップス
同女でバール・フィリップスの公開講座。直前には学部会議、直後に教授会、その上、今日は一時間目からの授業で、朝6時に家を出るという、なんというか我ながら鉄人並みのハードスケジュールであった。公開講座では、ちょっとした司会も。しかし、バールさんのコントラバスはやはり凄い。そして、常に「Right now」が大事だと言っていたのが、まさしく先日のケージ・コンサートで話したようなこととマッチしていて、おお、ここにも同じことを考えて実行している人がいる、と深く頷いたのでありました。それにしても、彼の音は、何というか、ほとんど官能的な(ベースの腹を撫でる彼の手!)音(音楽)への愛を感じるね。
バルトークと線量計
伊東信宏『バルトークの民俗音楽編曲』(大阪大学出版会)、片山杜秀『線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング)両著ともご恵贈いただいていたのだが、今朝の通勤電車の中で読了。実に日本の音楽学(というかクラシック音楽をめぐる言説)の両極端のような二快著。かたや素晴らしい実証研究、かたや素晴らしい博識と社会への目配りである。このような著者たちがいれば、さしあたり「安心」な気も。伊東さんの学者としての完璧さは知っていたが、片山さんは、彼を知る友人から「オタク」と仄聞していたので、なかば半信半疑だったが、なかなか「まとも」な人ではないですか。とても気持ちよく早朝の通勤電車を降りたのだった。
2012年10月16日火曜日
2012年10月15日月曜日
Sentimental Tales
そろそろ、来月11月17日(土)神戸ジーベック・ホールでの「センチメンタル・テールズ」コンサートのさまざまな準備作業が本格始動である。情宣のためにこんな文を書いた。
「このたび、フランス現代音楽の巨匠リュック・フェラーリ(1929〜2005)の未発表作品を含め、彼の未亡人ブリュンヒルド・フェラーリの新作ほか、内外の電子音響音楽の野心作ばかり集めたコンサートを神戸で開催いたします。 今回はブリュンヒルド・フェラーリ女史御本人も来日され、さまざまな関連の催しも東京や関西各地で行われます。 ぜひ、この機会をお見逃しなく、御来聴頂ければ、さいわいです。」
詳しくは、下のチラシをごらんください。
そして、これがそのうらです。
「このたび、フランス現代音楽の巨匠リュック・フェラーリ(1929〜2005)の未発表作品を含め、彼の未亡人ブリュンヒルド・フェラーリの新作ほか、内外の電子音響音楽の野心作ばかり集めたコンサートを神戸で開催いたします。 今回はブリュンヒルド・フェラーリ女史御本人も来日され、さまざまな関連の催しも東京や関西各地で行われます。 ぜひ、この機会をお見逃しなく、御来聴頂ければ、さいわいです。」
詳しくは、下のチラシをごらんください。
そして、これがそのうらです。
2012年10月14日日曜日
山は山、川は川
今回の『ユリイカ』ケージ特集号に「山は山、川は川」という文章を寄稿したのだが、全くその意味が理解されないので、あきれている次第。《4分33秒》の持つ意味など、もうあらかた論じ尽くしているのではなかったのか。禅でもいいし、ダダでもいいし、アクションペインティングでもいいし、プロセスとしての音楽でもいいし、うんぬんかんぬん。と言っても……、先日の京都コンサートホールでのコンサートでも話をしたのだが、ケージ自身が強調していたことは「必ずここには複数の人間がいることが前提」ということだ。その時も言ったけれど、この曲は一人静かに自宅で楽しむ(そんなやつがいるとして)ものではなくて、華麗なる「コンサートピース」なのである(微苦笑)。ああ、そうそう、タイトルはケージの好きな大拙先生のお言葉です。少しだけ足が地面から浮いている……、まあ、でもそれが誰にも気付かれないところがよいのだ、として以て瞑することにしようか。
FB
今度のブリュンヒルド・フェラーリさん来日時の一連のもよおし(コンサート、講演会その他)のフェイスブック・ページを作った(というか下田さんが作ってくれたのですけれど)。みなさんに、そこへ行っていただき、「いいね」ボタンをおしていただくと、何かいいことがあるらしいのです。どうぞよろしくお願いします。アドレスは以下の通り。
http://www.facebook.com/pages/Contes-sentimentaux/292591437516523
http://www.facebook.com/pages/Contes-sentimentaux/292591437516523
2012年10月13日土曜日
2012年10月11日木曜日
Pascal Dusapin
二時間強の通勤時間のうちに、Pascal Dusapin. Flux, trace, temps, inconscient - entretiens sur la musique et la psychanalyse, Editions Nouvelles Cécile Defaut, 2012 を読み終わる。しかし、得るところのなんと少ない読書だっただろう!デュサパンが癲癇患者だったこと、作曲しているときだけ安心していられること、これだけだ。音楽のこと、精神分析のこと、デュサパンの作品、ラカンのこと、などいろいろ教えられかと思って購入したのだったが、全然だめ。対話相手は、みなラカン派の精神分析者なのだが、これが……、なんだかなあ。確かに、売れっ子の作曲家で、こんなに若くしてコレージュ・ド・フランスの教授になって、デュサパンは「偉い」のかも知れないけど。こんなにへいこらしていていいのか。そして、デュサパン本人はもう、ほとんど何も言っていないに等しい。無駄な読書時間であった(というわけで、JR遅延の上に、疲労困憊が重なったのであります。)
2012年10月8日月曜日
戦後文学は生きている
海老坂武先生からご恵贈いただいた『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)京都への2往復の間に読了。大岡昇平、坂口安吾、石川淳、丸山真男、安部公房、大江健三郎、深沢七郎らの作品は昔々に読んでいて、懐かしく思い出した。その他の作品も読んでみたいものばかり。梅崎春生、原民喜、中野重治などなど。しかし、森有正だけは、どうもピンと来ない。(まあ他にも、開高健、鶴見俊輔、小田実などもそうなのだが。)これは、どうも「体質」みたいなものであって、「合わない」んだね。先ほどの会津八一もそうだけれども、同じ現代短歌なら、どうしても釈迢空ということになる。(そんなに知っているわけでもないが。斎藤茂吉?うーん?)ともあれ、海老坂先生の「読み」には、教えられるところ大。このような「知識人」が、少なくなっている昨今、まさしく頼りになる存在だ。
礼拝・会津八一展
今日は今出川で礼拝。お話しとピアノ。その後、裏の相国寺で会津八一展をやっているのを見に行った。好ましいのだが、これという心を打つものがない。これはなぜでしょう。でも嫌いじゃないんですよ。むしろ好きなのだが。
相国寺はこんな広大な寺域である。なにしろ、何億という地代を払って同志社が土地を借りているのである。
中の塔頭の一つに「雁の寺」というのがあって、そこでは水琴窟が目玉らしい。
しかし、拝観はできないのであった。うーむ……。
相国寺はこんな広大な寺域である。なにしろ、何億という地代を払って同志社が土地を借りているのである。
中の塔頭の一つに「雁の寺」というのがあって、そこでは水琴窟が目玉らしい。
しかし、拝観はできないのであった。うーむ……。
2012年10月7日日曜日
芦屋だんじり
家の前の交差点のところをだんじりが通って行った。これは、打出神社のだんじりである。
ところで、これらの写真をアップしようとして携帯の写真を見ていたら、先日の三島駅新幹線ホームで見かけた看板の写真が出て来た。
12号車というでかでかした看板のところの柱には、「ここは12号車の停車位置ではございません」の文字が。どっちやねん!
ところで、これらの写真をアップしようとして携帯の写真を見ていたら、先日の三島駅新幹線ホームで見かけた看板の写真が出て来た。
12号車というでかでかした看板のところの柱には、「ここは12号車の停車位置ではございません」の文字が。どっちやねん!
ケージ×ビートルズ
「ケージ×ビートルズ」無事終了。高橋アキさんのピアノはいつでも素晴らしい。私たち参加の《ビートルズ1962-1970》も(多少の「事故」?はあったものの)なんとか無事に終わりました。聴きにきてくださったみなさまには感謝です。しかし、演奏する方もとても楽しませてもらいました。
2012年10月6日土曜日
ピアニストになりたい
岡田暁生『ピアニストになりたい!』(春秋社)遅まきながら読了。昨日は大学から直に京都コンサートホールのゲネプロ。その行き帰りに読み終わった。よく事実を調べてあって、ちょうどぼくの『狂気の西洋音楽史』が応用課題だとしたら、その基礎課題みたいな感じだった。でもこういう基礎的なこと、事実の積み重ね、実証主義が大事だよね。しかし、多少の誤植や誤りあり。特にパリコンセルヴァトワールの初期のピアノ教授の名前を、「ルイ・アダム」としているが、この人が《ジゼル》の作曲者アドルフ・アダンのお父さんだということを彼は知らなかったに違いない。つまり、「アダム」ではなく、「アダン」です。(まあ、かくいうわたくしめも、アドルフ・アダンの回顧録を読む前は知らなかったわけですが。ちなみに、この回顧録にはその頃のピアノ科のことなども書いてあって興味深い。)さらに言えば、重大な矛盾として、18世紀的な演奏観が19世紀になって産業革命的な機械的演奏観に取って代わられた、という全体の流れからすると、最初の方にあるシュナーベルの演奏法(20世紀)はチェルニーのそれと一致するというのは、(そしてチェルニーは18世紀的、古典派的演奏法だ)それに棹さしている、と思われた。もちろん、例外は常にある、と言えばおしまいだが、その辺りの一筋縄でいかない反論理的な部分に音楽の面白さがある、というところまで踏み込んで欲しかった。
2012年10月5日金曜日
2012年10月4日木曜日
おばけずき
泉鏡花『おばけずき』(東雅夫編、平凡社ライブラリー)読了。鏡花のスタイルはいつ読んでも心地よい。(でもよくわからないところもあるけどね。)「身体のないものが、踵ばかり畳を踏んでやってくる」というのは、鬼気迫る。しかし、全体的にはそれほど怖くなかったな。
2012年10月3日水曜日
ピアニストの脳を……
古屋晋一『ピアニストの脳を科学する』(春秋社)読了。新しい発見はなし。まあしかし、感覚的にわかっていることを数量的に科学的に表現することは、意味のないことではないだろう。しかし、聴いた音をすぐに演奏できるとか、暗譜の方法については、異議あり!(つまり、少なくとも私は違います。)(しかし、どこまでがプロのピアニストで、どこまでがアマチュア、どこまでが「しろうと」という、線引きはむずかしそうだね。)
2012年10月1日月曜日
2012年9月30日日曜日
2012年9月29日土曜日
2012年9月28日金曜日
ピアニストの系譜
真嶋雄大『ピアニストの系譜 — その血脈を追う』(音楽之友社)読了。何か教えられるところがあるかと思って読んだのだが、どうもこの本の記述は客観的な事実なのか、筆者の思い入れなのか、曖昧なところが多すぎる。人名の読みの間違い(ジャック・ファブリエではありません!そんなファブリーズみたいな名前ではなく、フェブリエです。ソブラジとか、ヴァイオリストとかはご愛嬌?)とか事実誤認(ヴァレーズがピアニスト?)もあり、しかも全く参考文献がない!まあ、著者もしっかりした学問的研究を狙っているわけでもなさそうだから、それでいいと言えばいいのかも知れないが、でもなあ……。単なる音楽読み物とか、そういうものかな。でも、こういうものを読んで、日本の読者たちに片寄った偏見が植え付けられなければよいが(「民族」とか「血統」とかは最重要だ、とか)。PS:個人的には、マリー・ジャエルのこととかがわかるかな、と思ったのでした。全く言及なし。よく考えたら、シャミナードのことだって何にも書いてないぞ。もっと言えば、グレインジャーも丸無視!
2012年9月26日水曜日
ヘルペス
ヘルペスで上唇が痛い。家内にゾビラックスを処方してもらう。やれやれ……。先週金曜には突然の発熱もあったし……、その余波であろう。そんな中、朝5時起きの一時間目からで、今学期授業初日。そのうえ、写真コンクールの応募写真を440枚余(!)見るという、何というか惨憺たるというか、大変な一日であった。
2012年9月25日火曜日
阪急電車
録画しておいた映画『阪急電車』を見た。どんなにありきたりの物語でも、その土地というものは大事だよな。つくづく genius loci ということを考えた。そう言えば、JR神戸線の尼崎に着く直前(つまり西宮より)の車窓から、「入江工務店(だったかな)」の看板が見えるのだが、それが「IRIE」で、ついプルーストのイリエ=コンブレーを思い出すのであった。(しかし、こっちは Illiers-Combray でした。)
2012年9月24日月曜日
その間に
その間に読んだ本。ブルフィンチ『中世騎士物語』(野上弥生子訳、岩波文庫)、ハイデッガー『ヒューマニズムについて』(渡邊二郎訳、ちくま学芸文庫)、Scarlett et Philippe Reliquet, Ecouter Haendel, Gallimard, 2011. 最後の本は、全然音楽の本ではなかった。フォーブール・サンタントワーヌの本屋「Arbre à lettres」でぶらぶら見ていて、目についたもの。心理学とか精神医学の棚にあった。Garance といういわゆる「知恵おくれ」の少女の物語。彼女はつねに同じ音楽を聴くことをせがむのである。それがヘンデルであったり、セザーリア・エボラであったりするのだ。常に気に入った同じフレーズを、倦むことなく弾き続けたシューマンを思い起させる。(自分にもその傾向があるのでね。それで、「助かっている」ことが多々ある。)
ゼミ合宿
2012年度のゼミ合宿を行いました。「椎名亮輔音楽美学研究室」のサイトがもう更新不可能になってしまったので、ここで報告します。
9月23日(日)今出川キャンパスジェームズ館J202教室
西山綾香『現代に生きる私たちにとって感動する音楽』
梅本佳奈子『シューマンのピアノ作品における幻想性と演奏表現についての考察(仮)』
築山桃佳『オーケストラ活動(仮)』
湊沙希『ジャポニスムの音楽から見る日本のイメージ』
高田詩織『交響曲におけるフルートの役割 ― フルートの歴史と発展を辿りながら』
田中里沙『音楽の広告的効果』
角村彩『音楽を学ぶ大学生の就職状況』
中村有里『公共ホールのマネジメントの現状と課題についての考察』
久保田景子『吹奏楽アンサンブル曲における楽器の役割(仮)』
夜はイタリアンレストランAltrettantoにおいて「反省会」
9月24日(月)
京都駅「えき」美術館において「輝ける皇妃エリザベート展」を見学。
(PS、あとは、田中さん、写真をください。よろしくー)
9月23日(日)今出川キャンパスジェームズ館J202教室
西山綾香『現代に生きる私たちにとって感動する音楽』
梅本佳奈子『シューマンのピアノ作品における幻想性と演奏表現についての考察(仮)』
築山桃佳『オーケストラ活動(仮)』
湊沙希『ジャポニスムの音楽から見る日本のイメージ』
高田詩織『交響曲におけるフルートの役割 ― フルートの歴史と発展を辿りながら』
田中里沙『音楽の広告的効果』
角村彩『音楽を学ぶ大学生の就職状況』
中村有里『公共ホールのマネジメントの現状と課題についての考察』
久保田景子『吹奏楽アンサンブル曲における楽器の役割(仮)』
夜はイタリアンレストランAltrettantoにおいて「反省会」
9月24日(月)
京都駅「えき」美術館において「輝ける皇妃エリザベート展」を見学。
(PS、あとは、田中さん、写真をください。よろしくー)
2012年9月20日木曜日
腰痛……
J'ai mal au dos. Me duele la espalda... しかし、仏語も西語もなんで背中なんだ?わたしは腰が痛いのに……。原因はレンタカーの座席の高さが合っていなかったことによると思われる。
2012年9月18日火曜日
磯江毅
河口湖の美術館で磯江毅の展覧会をやっていたので、見に行った。とてつもない写実である。絵で本物のように描く。それなら、写真を撮ればいいじゃないか、という考えもあるかもしれない。違うんだなあ。写実画は写真よりも「真」を「写」している。質感といったらいいだろうか。だからこれは「視覚」プラス「触覚」の芸術である。そして、触るためには、順番に撫でて行かなければならない。私たちも目で「撫でて」行くのである。だから、時間がかかる。写実画を描くのにも、大変に時間がかかるそうだ。私たちは、それをミニチュアで再構成しているのかもしれない。
2012年9月17日月曜日
2012年9月12日水曜日
実習訪問
昨日は、奈良県高田市というところに教育実習の訪問に行って来た。大阪阿倍野橋から近鉄で吉野行に乗るのである。
うきあな、しゃくどなど、なんとも歴史とか伝説を感じさせる名前である。途中で二上山や当麻寺を通過。高校の修学旅行の時にグループで行こうとして果たせなかったことを思い出した。もちろん、折口信夫の影響である。
向こうの方に遥かに見えるのが恐らく二上山ではないか、と。山越阿弥陀のイメージか?
今日は、ゆみさんのソロヴォイスの解説書き。突然の依頼である。明日までに終わらさなければ……。
2012年9月10日月曜日
山は山、川は川
禅の修行前には山は山で、川は川である。修行中にはそれは何が何だかわからなくなる。しかし、修行後には、また山は山で川は川である。これとまったく同じことが、真木悠介『気流の鳴る音』にあって、我が意を得たりという感じだったが(順番はむしろ逆だったが)、今から思えば、真木祐介(見田宗介)にはそうとう禅の影響とかがあるのかも。そして、今回のケージ論もこれです。乞うご期待(というほどでもないか)。
2012年9月9日日曜日
重陽
今日は重陽。というと杜甫のこの詩を思い出す。
九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、
老去悲愁強自寛、
興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、
羞将短髪環吹帽、
笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、
藍水遠従千澗落、
玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、
明年此会知誰健、
酔把茱萸子細看。
来年はこのうち誰が残っているだろうかと思い、酔って一人仔細に「ぐみ」を見つめているのである。この解釈は吉川幸次郎の本で読んで、とても印象に残っている。
2012年9月8日土曜日
J'aurais pas dû...
J'aurais pas dû... というのはリュック・フェラーリのせりふ。「しなきゃあよかったのに……」というのはかっこいいね。あとは、J'ai tort, j'ai mon très grand tort. というのもある。まったく同感である。
2012年9月7日金曜日
Montsalvatge
Montsalvatge のCD(Canciones & Conciertos)を買って、知らない曲ばかりだと思っていたら、実は昔から知っていた。Cinco canciones negras で、これは確かビクトリア・デ・ロスアンヘレスの演奏で、よく聴いていたものだった。 Séverac のオルガン曲全集&合唱とオルガンのモテット集も買った。そして Cage, Works for percussion (1936 - 1991)。ナンバーピースが三曲入っている。
2012年9月5日水曜日
2012年8月31日金曜日
Jean Beaufret
Jean Beaufret, Entretiens, P.U.F., 1984. 読了。ダニエル・シャルル先生おすすめだったのに、不肖の弟子はやっと今頃読み終わったのでありました。ギリシャ語のテクネーが、技術と芸術と二つの言葉に分かれる話は、自分でも美学の講義で何度も話をしたが、その「アート」でない方(裏面)の方の「テクニック」の話は図らずも新鮮、そして今日なお、というか今までにまして重要と感じた。なぜ、フクシマとハイデッガーという構図が論じられないのだろう。
2012年8月30日木曜日
サン=サーンスの墓
パリには25日に帰って来て、ちょっといました。その間に、時間を見つけてモンパルナス墓地へ。懸案のサン=サーンスの墓へ。
ユダヤの星があると思ったのは、内部の薔薇窓でした。しかし、よく似ている。これは、わざと?
ユダヤの星があると思ったのは、内部の薔薇窓でした。しかし、よく似ている。これは、わざと?
スイス2
学会の中で、「音を聴くツアー」というのがあり、色々なところに行けた。
Val d'Illiez という山の中。
Monthey という町。Collombey-le-Grand という工場地帯。そして最後はレマン湖のほとり。
Val d'Illiez という山の中。
Monthey という町。Collombey-le-Grand という工場地帯。そして最後はレマン湖のほとり。
スイス1
8月19日から25日はスイス、サイヨンで「国際音響エコロジー学会」でした。
サイヨンは、ジュネーヴから電車で二時間ほどのマルティニーからバスで30分くらい。
こんなところです。
この塔が目印。この右の方へ登って行くと、サイヨンの村の本体があります。
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