2011年4月30日土曜日

織田作之助の墓

最後は織田作之助の墓。これが今日見たものの中で一番立派であった。楞厳寺(りょうごんじと読む)の中にある。
近付いてみるとこう。
 お寺の墓所とは別に、本堂の左手に特別にしつらえた場所に大きく存在する。ビールと煙草が供えられているのも織田作らしい。
我々はこうして一日の行程を終え、阿倍野に向かい、おいしい日本酒をたらふく飲み、その後はノラでゆっくりと語り明かしたのであった。

井原西鶴の墓

次に見たのが、井原西鶴の墓。これは誓願寺という寺の中にある。「日本のシェイクスピア」よりもよっぽどよい扱いである。

近松門左衛門の墓

そして谷町筋を歩いて行くと、ビルの隅っこに押し込められて、近松門左衛門の墓があった。入り口の説明には「日本のシェイクスピア」などと書いてある。シェイクスピアの墓がこれか、と村上君と大阪の文化政策の稚拙さにあきれる。

口縄坂

次はちょっと地下鉄に乗って、織田作之助ゆかりの地をまわる。まずは、口縄坂。上のところに碑があった。
そしてそこから下の方に坂はおりていく。


折口信夫墓所

その近くにはまた折口の墓もある。願泉寺の中。しかし、ここは養子春洋との墓ではなく(それは春洋の故郷石川県にあるらしい)、折口家代々の墓。

折口信夫生誕地

昨日は、せっかくの休みなので、村上君と大阪市内の興味深い旧跡を見て回った。難波駅で待ち合わせ、お昼を「グリルしき浪」で。ここのハンバーグはソースにだぼだぼに浸かった形で、けっこうおいしい。そして、旧跡探訪に出発、まずは折口信夫生誕地。
鴎町公園の中にある。隣にはこのような碑も。

2011年4月28日木曜日

見かけ

見かけ apparence、あるいは「表層 superficie」とH的に言うか。例えば「人は見かけによって判断してはいけない」などと言われる。表層ではなく深層に真実があるという考え方。フランツ・リストの作品は表層的だが、それが彼の本質だ。あるいは知覚されるものこそが重要だとするミケル・デュフレンヌ。

2011年4月26日火曜日

しかし

間違えているのは熊本マリだけではなく、バスティアネリも以前に紹介したフランステレビ局のモンポウについての番組の制作年を1974年としている。実際には(これは字幕で確かめられるのだが)1970年制作の番組である。いかなるところにも、間違いは転がっているということか。ぼくの書いたものにも、なんだか間違いがごろごろしているような気がして来た。

また

電車が止まっている。なぜ予定通りに行かないのか。まあフランスではこんなことは日常茶飯事なのだが。日本の便利さに慣れてしまったのか。あともうひとつは、日本の学生の態度にはつねに何かしらひっかかるものがある。そんな者たちに、駅という狭い空間で囲まれる不安(教師にあるまじき気質?)(苦笑)。

2011年4月25日月曜日

Jérôme Bastianelli

Jérôme Bastianelli, Federico Mompou : A la recherche d'une musique perdue, Payot 再読了。熊本マリの訳し間違い(というか矛盾点か、つまりどちらが正しいかよくわからない)が判明。モンポウが子供の頃、日露戦争ごっこをして遊んだ時に、日本側についたと熊本は訳している。しかし、同じジャネスが情報源であるバスティアネリによれば、国の大きさを見て、彼はロシア側についたということだ(彼自身が子供の頃から大きかったので)。また、モンポウが休暇をよく過ごしていたディナールというのがどこだかわからないで悩んでいたが、フランス大西洋岸の町らしい。また、ラ・ガリーガとかプチェットというのもまったく見当がつかなかったが、バルセロナの近郊(まあ大体そうは思っていたが)であることがはっきりした。以前にこの本もちゃんと読んだつもりだったが、忘れているもんですな。しかし、そういうのもちゃんと良心的な訳者だったら、注くらい付けるべきだろう(ウパニシャッドに変な注を付けているくらいだったら。他にもなんだか奇妙な注がたくさんあったぞ、いちいち言わないけど)。

2011年4月24日日曜日

仮面

シェーンベルクの仮面について考えていて、「隠しながら見せる」ということから、ロラン・バルトのロシュフーコー論を思い出しました。ここにも確か、「自分を指し示しながら歩く仮面」というイメージがあったと思います。そしてそれがカミキリムシ(?)とオーバーラップしていたと思うのだが……。後で調べてみよっと。そう言えば「仮面」というのは、ラテン語で persona (per-sonare で、〜を通して話す、響かせる)ですが、これがフェルナンド・ペソア Pessoa の名前の語源ですね。そして、それはフランス語の personne でもあって、フランス語の場合「誰でもない」という意味もある。

ジャネス承前

ジャネス『フェデリコ・モンポウ』再読了。原タイトルは「モンポウのひそやかな生活」なのだね。それを「ひそやかな音楽」と、音楽作品名と一緒にしちゃったので、何のひねりもきかなくなってしまった。訳者は熊本マリという人。ピアニストらしい。しかし、前に読んだチェイス『スペイン音楽史』もそうだが、アマチュアに毛の生えたような人たちが、よってたかってスペイン音楽研究をダメにしてしまっている感あり。濱田滋郎という人もいわばアマチュアだったようだが、他の人に比べてまだ学問的良心があったようだ……。少なくとも、フランス音楽研究やドイツ音楽研究の分野においてはこんなことは見られないと思う。こんなことを書いたからといって、例えば大学教授の書いたものが良くて在野のいわゆる「アマチュア」学者がダメだと言っているわけではありませんよ、念のため。問題なのは、精神の「構え」のようなものです。「誠実さ」と言い換えられるかな。

ゆみさんのシェーンベルク

昨晩は、モーツァルトサロンで奈良ゆみさんのリサイタル。谷口さんの伴奏で《ピエロ・リュネール》と《キャバレーソング》そして松平の二曲。ピアノ・ソロ伴奏の《ピエロ》は初めてだが、なかなかの熱演であった。シェーンベルクの「美しさ」がわかった。おそらくこれは普通の「美しさ」ではなかったので、シェーンベルクはそれを隠すために(隠しながら見せるために)《ピエロ》という、グロテスクで血なまぐさいような「仮面」を被ったのだ。当時の超保守的なウィーンではそれは必須であった(彼の《浄夜》はただ一つの「間違った」和音のために否定された)。モンポウの「金属和音」と似たようなシェーンベルクの「不協和音」。リサイタルには、マラパルテの宮岡さんと茨木さんも来ていた。(しかし、茨木さんはどこかで見た顔だと思ったら、帰宅して見たテレビにピースの又吉が映っていて、これだ!と思いました。)

2011年4月23日土曜日

クララ・ジャネス

クララ・ジャネス『フェデリコ・モンポウ』を読み返している。しかし、何度読んでも、靴の上から足を掻いているような印象。これが全く翻訳の悪さから来ているのは明らかだ。作品名がわからず、固有名詞の読みはめちゃくちゃで、ウパニシャッドまで知らないと来ている。(「何かの著者名」とか平気で書いている。)しかし、もしかしたら原著も困った本なのかも。原文で読んでみたいものだ。少なくとも、知りたいレフェランスの正確なものがわかるだろう。まあしかし、このような読みにくい本が唯一の日本におけるモンポウ紹介本なので、モンポウが余り人に知られずに済んでいるという、逆説的効用があるのかもしれない。バルセロナに行って、可能ならば直接に著者に会えればと思う。

2011年4月22日金曜日

マリエタン

突然、ピエール・マリエタンから連絡。今、東京に来ていると言う。そして京都に行くので会いたいと。今は建築家の竹山聖氏のもとにいるらしい。

2011年4月21日木曜日

ゲルナー

アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(岩波書店)読了。非常に痛快に明快な論理の書。しかし、本書によると、識字率の高さ(それによる高文化の共有)がナショナリズムの発生原因の一つである。すると江戸時代にすでに高い識字率を誇っていた日本の場合はどうか?長州とか薩摩とかの雄藩割拠がその結果?たしかに離れた藩の人間たちの意思疎通があまりの方言の違いにより難しく、彼らは謡曲の言葉で語りあったという(文化 ― 民族? ―的版図と政治的版図の一致)。(しかしとりあえずはすごく滑稽な図ではあるな。苦笑。)

2011年4月20日水曜日

アウシュヴィッツとアドルノ

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉である。アドルノ『プリズム』に見られる。優雅な詩を書くような文明的な人間が、同時にユダヤ人殲滅という前代未聞の蛮行を行った、文明も野蛮も人間の中において同じものである、というように解釈されるようだが、その解釈は正しいか?

昨日一昨日の京都新聞

きのうおとといの京都新聞で、岡田暁生氏が文章を書いていた。要は、東日本大震災の後にテレビのバラエティ番組をやったり、見たりするのは許し難いという趣旨で、アドルノの有名な言葉「アウシュヴィッツの後に詩はあり得ない」を引用しながらの論である。しかし、考えるに二つの点で異議あり。まず、これは全く当事者たちの心情を理解しない発言と言えるだろう。余りにも厳しく過酷な状況の中で少しでも「娯楽」を得ようとするのがそれほど否定される行為だろうか?そしてもう一つ。アドルノのアウシュヴィッツと今回の大震災は「同じ」か?違うでしょ。アウシュヴィッツはナチスの蛮行であり、大震災は(ほぼ)天災である。

2011年4月19日火曜日

Maya Deren

マヤ・デレンの作品集と『鏡の中のマヤ・デレン』を見た。初期の作品より後期の作品の評判が悪い、という話で、確かに第一印象はその通り。しかし、これも、もしかしてマヤが現在のテクニックを使うことができたとしたら、変わって来たような気がする。コンセプトの方がリアライゼーションを上回ってしまっているのでは?でもまあ、本人には余りお近づきにはなりたくない感じではあるな。最後のご主人の「テイジ・イトー」という作曲家は全く知らなかったが、他にどのような作品を書いていたのだろう?

2011年4月16日土曜日

チャリティ・コンサート

アムニスティ・インターナショナル主催のヴラダン・コチというチェコのチェリストの芦屋でのコンサート。彼のチェロはよかったが、ピアノ(有吉英奈という人)が全然だめ。肝心なところではずすわ、響かないわ。だいいち全部がメゾフォルテ!なんだこりゃ?プログラム最初のベートーヴェンのチェロ・ソナタは、ピアノの練習が追いつかなかったのか、バッハの無伴奏チェロ組曲に変わっていました。

2011年4月15日金曜日

atonality

たとえばシェーンベルクの無調性とモンポウの(ほとんど)無調性を比較してみたりすると面白いのではないか、と思ったりして、アドルノを読み返したりもするのだが、アドルノの場合は、音楽を正しく理解するのは素材とその構築の関係を理解することだ、ということなので、素材そのものの話はあまりない。うむむ…。

2011年4月14日木曜日

Guillot et Mellers

Pierre Guillot, Déodat de Sévérac : musicien français とWilfrid Mellers, Le Jardin Retrouvé : The Music of Frederic Mompou を読み終わった。ギヨー先生の本は実に緻密な研究の成果である。これでほぼセヴェラック(彼はいろいろ考えた末、従前のセヴラックではなく、セヴェラックという読みを採用した)の全貌を知ることができる。これからの研究者には必読・必携の書物である。一方のメラーズの本は、何というか、アマチュアに毛の生えたようなもんだね。全作品について書いてはあるが、それを言葉で表現して(何調で、どのようなメロディーで、伴奏はこうこうで……)いるだけで、ときたま感想めいたものも入ってくるけれども、だから?という感じ。新しい情報はなし。(モンポウをジャズと比べているのが新機軸?以前に同志社大学でモンポウについて講演をしたときに、聴衆からジャズの影響について質問されて面食らったものだが、それを思い出した。)

濱田滋郎

『濱田滋郎の本』というのを読んでいたら、彼自身へのインタビューがあって、彼の父親が濱田広介という童話作家とあり、あれ、と思った。ぼくが生まれて最初に読んだ(とされる)本がまさしくその人の『ひろすけとくほん』だったからだ。その中の「あめはどこでもふっている……」というのはまだ覚えている。

goig

福島さんによると「ゴッチ」と発音するそう。

2011年4月11日月曜日

麦ふみクーツェ

いしいしんじ『麦ふみクーツェ』を読む。細川周平さんから突然彼の評論付きで送られて来たのだった、「音楽を真剣に考える人間は絶対に読まなければならない」という言葉と共に。ファンタジーのようなものは苦手だし、またちょっと変わった人間の話か、という感じで最初は苦労して読み始めた。しかし、途中から引き込まれる。人間の生は音楽そのものである、というのは絶対の確信だが、いしいしんじはそれを小説にした。それゆえのフィクションである、と解釈する。あるいはメタファーと言ってもいい。音楽は時間と一緒で、それをまともに取り上げようとすると、手の間から逃げて行ってしまう(アウグスティヌスを思い出そう)。斜めに見なければいけない。それを木村敏もわかっていたし、いしいしんじもわかっているのだ。

2011年4月10日日曜日

もう一つ。

いずれも開森橋近辺です。

2011年4月9日土曜日

芦屋川の桜

満開です。後ろの山も霞がかかり、まさに歌の通り。伝統は関西のものであることを実感。

La musique de Mompou

モンポウの音楽というよりは、モンポウにとっての音楽、あるいは作曲とは何か、ということかな。以前にモンポウのヴィデオをユーチューブで見つけたと言ったけれど、そこで彼が自分は作曲家ではないと言っていることを書いておいた。では、何と言っているか。「Je ne suis pas un compositeur.  Mais, je ne suis qu'une musique」と言っている。意味深ですね。この 「suis」は、「suivre 」と「être」の二通りにとれるな。

2011年4月8日金曜日

承前

『スペイン音楽史』読了。ああ、読みにくかった。モンポウの作品名となると「お手上げ」なのか、ほとんどカタカナ表記であった。「ソムニの戦い」というのもあったぞ。なんだかヴェトナム戦争っぽいな。うーむ。モンサルバーチェなどは「モントサルバトヘ」という誰だかわからないものになってしまっていた。しかし、「フローレンス」とか「トゥリン」とか、やめてほしいよなあ(フィレンツェとトリノですよね、みなさん知ってますよね)。「サイキ」というのもあって、一瞬考えてしまった。これは「プシケー」ですね。

2011年4月7日木曜日

スペイン音楽史

ギルバート・チェイス『スペイン音楽史』(全音楽譜出版社)を読み始めたが、どうもこの訳者(舘野清恵という人)は、英語以外にスペイン語をやっただけのようで、イタリア語もフランス語もラテン語もわからないらしい。その上、一般教養もどうも怪しいので、読みにくくてしょうがない。サンチャゴ・デ・コンポステラにまつられているのが「聖ジャック」というのは御愛嬌(「ヤコブ」でしょ)だが、ローマの「パパル合唱団」というのは無教養をさらしているようなもんだ。「フランダース」というのも、なんだか犬が出てきそうだ。「フランドル」というのが一般的だろう。ビクトリアがローマで勤めた教会の名前が、「サン・ヒロラモ」というので、あれ彼はもうスペインに帰って来ていたっけ、と思ったりした。

2011年4月6日水曜日

スペイン音楽

ホセ・スビラ『スペイン音楽』(クセジュ)読了。クセジュの例に漏れず、人物名の羅列。唯一、残ったのがカタルーニャ民俗音楽の「聖母讃歌」として挙げられている「ゴーチ」。これは、セヴラックの言う「goigs」なのだろうか。カッコして「喜びを意味するカタルーニャ語」とある。それならばそれだ。フランス語の発音は「ゴワグ」という感じなので、ずいぶん違う。本当はどうなのだろう?そう思って、バルセロナの福島さんに訊いてみた。

2011年4月1日金曜日

スペイン音楽の楽しみ

浜田滋郎『スペイン音楽の楽しみ』読了。スペイン音楽と神秘主義の話がちらっとあったのが、やっぱり、という感じ。