2011年12月31日土曜日
大晦日
大晦日である。朝から買い物(食料 — もちろん蕎麦! —、本雑誌、花)、掃除、洗濯、読書、子どもとゲーム(オセロと動物の森)、しかし昨晩もそうだったが家人が病院から緊急呼び出し、子どもたちに蕎麦を食べさせながらこちらは「一刻者」お湯割り、しばらくして家人帰宅、一緒に蕎麦を食べ、《第九》を視(聴)(何年ぶりだろう)、子どもを風呂に入れ、ほっと一息。あと数時間で今年も終わり。皆さん、よいお年を。そして来年もどうぞよろしく。
2011年12月30日金曜日
ベートーヴェンの生涯
ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』(片山敏彦訳、岩波文庫)読了。ベートーヴェンの作品1からすでに耳が聴こえなかったという指摘。そして《田園交響曲》の「鳥の鳴き声」などの描写は「描写」ではない、なぜなら彼はまったくそれらを聴くことができなかったからだ、という主張は興味深い。ベートーヴェンの『手記』より「静寂と自由とは最大の財宝(1817年)」。しかし考えてみると、この時にはすでにベートーヴェンの耳は聴こえなくなっていたはず。してみるとこの「静寂」とは?
2011年12月29日木曜日
さよならコンサート
いずみホールに、アンサンブル・ルペガーズ「さよなら2011コンサート」というチャリティコンサートに行って来た。南森町のモーツァルト・サロン関連の音楽家たちが集まって年末に演奏するというもので、もう8年間続いていると言う。そして何と!指揮はモーツァルト・サロンの持ち主である建築家の飯田精三氏である。氏が京大オケでチェロを弾いていたということは聞いていたが、指揮もするとは知らなかった。なかなかの指揮ぶりである。曲目は、シューマン《交響曲第三番「ライン」》、シューベルト《交響曲第八番「未完成」》、チャイコフスキー、《序曲「ロメオとジュリエット」》。後二者はよかった。シューマンは難しいのだろう。隣りに座った高校生だか大学生だかは、シューマンの一音目からずっと眠りこけていた。毎年モンゴルのホームレスの人々にゲルを送っており、今年は東日本大震災もあったことから、そちらにも援助をすると言う。沢山人も入っていたし、演奏も終わりになるにつれ盛り上がって、なかなか「大阪人の心意気やよし」という感じであった。
明治の音
内藤高『明治の音』(中公新書)読了。下駄の音と日本家屋の音響浸透性については、すっかり失念していた。よく考えると建築家たちだって、居住空間の音響についてはきっと何か考えているのだろうが、よく知られていない気がする。しかし、これは重要ですぜ、ぼくにとってはほとんど最重要だ(パリのアパルトマンでは常に騒音に悩まされていた)。それと、ラフカディオ・ハーンが、ロンドンで聴いた一少女の「おやすみなさい」の「声」に対して持つ「不可思議な喜びと痛みの交錯した二重のおののき」。「たった一度耳にしただけの声がこれほど魅力的にひびくのは、そこに幾千万の忘れられた人生の記憶が重なり合っているからだ」(138頁)。まさしくそのとおりだ!
作家たち
三宮で本を買う。アーダルベルト・シュティフター、アラン=フルニエ、レーモン・ルーセルらの本(それぞれ『水晶』、『グラン・モーヌ』、『アフリカの印象』)。帰って楽しみにぱらぱらと見ていたら、これら三人共に非業の死を遂げた作家であったことに気が付き愕然。
2011年12月27日火曜日
鶉衣
横井也有『鶉衣』(上下巻、岩波文庫)読了。夜寝る前に少しずつ読んでたら遅くなった。日本語の詩で韻を踏んでいるものが江戸時代からあったことに新鮮な発見。しかし、解説を見てみると、「仮名詩は支考が『本朝文鑑』や『和漢文様』において創始し、美濃・尾張方面では盛んに受け継がれていた」と言う。(ただ也有は『本朝文鑑』に対して、批判的な言辞があった。)どれも漢詩の五言絶句やら七言絶句やらを手本にしている。なかなか興味深い。
2011年12月26日月曜日
波の記譜法
ピエール・マリエタンから来年の「音のエコロジー」国際学会に参加してくれという突然の頼み(東京のホテルで電話を受けたのでした)なので、何かよい材料はないか、と何十年ぶりかで小川博司ほか『波の記譜法』(時事通信社)をざっと読み直す。う〜ん……、確か小沼さんも環境音楽関係の施設が古びている、みたいな話を書いていたようだったけれども、どうも環境音楽関連の言説も今となっては古びて見えてしまう。ぼく自身に興味があって、面白みが多少ともありそうだなと思うのは、日本の「伝統的な」(と言われる)音の環境であったり、音の装置であったり(これは「文学的装置」であるかもしれない)、そういうものの間の関係を確かめること、かな?これにうっすらと関係ありそうなのが田中直子氏の論文だけれども。彼女は今はどのようなことをやっているのだろうか?
2011年12月25日日曜日
クリスマス礼拝
昨夜は劇ありのクリスマス礼拝(娘たちは天使役で登場。ちなみに去年は天使と羊でした。途中で羊が一匹脱走したので、羊より羊飼いの方が多くなってしまった)。今日の礼拝は歌がメインでした。私はピアノ伴奏。昨夜は190人ほどが入っていたとのこと。椅子を足したり、満員でした。指揮・歌の寺田さん、聖歌隊のみなさん、おつかれさまでした。
2011年12月24日土曜日
Cortès さんから
Cortès さんから詩と写真。
Hem bastit el pessebre en un angle
del menjador, sobre una taula vella,
el pessebre mateix de cada any
amb la mula i el bou i l’Infant
i els tres reis i l’estrella.
Hem obert innombrales camins
tots d’adreça a la cova.
amb correus de vells pelegrins
–tots nosaltres– atents a l’auster caminar de la prova.
I en la nit del misteri hem cantat
les antigues cançons
de la mula i el bou i l’Infant i els tres Reis i l’estrella.
I oferíem la nit amb els ulls i les mans.
I cantàvem molt baix, amb vergonya potser de saber-nos germans
de l’infant i de tots en la nit de la gran meravella.
(Miquel Martí i Pol. Nadala)
Bon Nadal i feliç 2012
2011年12月23日金曜日
2011年12月22日木曜日
最後の最後で
今年最後の授業だったが、最後の最後でケチがついた。JR神戸線が事故でストップ。甲子園口駅で電車がびくとも動かない。阪神で振替輸送するが、阪神の駅までバスは自腹だと。よく暴動など起こらないな、大阪だったらどうだろう?
モンポウ未刊歌曲
モンポウ未刊歌曲を聴いてみると、どこかで聴いた音楽が多い。彼の《プレリュード》だ。そう言えば、チェロとピアノのための《橋》もピアノ・ソロの「編曲」だし、そのピアノ・ソロ版の中には《ドン・ペルリンプリン》の一節がある(どちらが先かな?)。ところで、彼のカンタータの楽譜が「ある事情で」絶版になっているらしいが、どのような「事情」なのだろうか?
2011年12月18日日曜日
授賞式
昨日は水戸芸術館で吉田秀和賞の授賞式。とても素晴らしい式でした。あの、雲の上のひとである!吉田秀和さんに直接にお会いし、お話できて、感激!海老澤敏先生も(御自分の車で!)駆けつけてくださり、ご挨拶してくださった。やはり感激!他のみなさんも友人・知人そのほかのひとたち、わざわざ遠い所をお集まり頂いて感謝感謝です。その後の新ダヴィッド同盟演奏会も素晴らしい熱演でよかった。
2011年12月15日木曜日
20世紀を語る音楽
アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』(柿沼敏江訳、みすず書房)読了。アメリカやイギリスのことはよく知らなかったので勉強になった。特にレッドパージのこととか、ブリテンのこと。ジャクリーヌの映画の登場人物たちも多数出演し、理解が深まった。この間読んだ岡田氏の著書を補強できるだろう。ここでもまたフランスのことが弱い気がするけれども、これは単にぼくが(余計なことを?)知っているからだろう。日本のことについては、多分秋山氏や長木氏の著書が補っていると思う(まだちゃんと読んでいない……。ありていに言えば、今のところ、それほど興味がない — 貴志康一関連で多少読んだけれども — これは頼まれ仕事)。広大なパノラマ。そうそう、ゲイ文化についても面白かった(あとがきで、著者の「夫」のことが言及されていて「ふーん」、原語は何でしょうね)。
なぜ
こうもオーヴァーブッキングの嵐?ジャクリーヌ映画、ブリュンヒルド新曲、出張講義、大学定期演奏会(昨日)、卒論提出(どうして皆直前になって添削頼むか)、吉田賞授賞式、その後クリスマス礼拝ピアノ伴奏。これに先日の義父の不幸もあり。まさしく教師は走るのであった。
2011年12月14日水曜日
承前
そうそう、それから書き忘れたが、『プリズムの色』の中でいろいろなミュージシャンたちが演奏しているわけだが、特にポーリン・オリヴェロスとメレディス・モンク(そしてテリー・ライリーも)は特に亡きダニエル・コーへのオマージュとして演奏している。メレディス・モンクについては、そうだろうと思った、というのも、彼女は「最後の息、the last breath」と歌い、途中でそれをフランス語でも「dernier souffle」と歌うのである。また常にジャクリーヌの影が(実際に彼女自身の映像もあるが)感じられ、特にフィリップ・グラスがピアノの演奏を途中でやめて、こちらを向いて語りかけているのは、彼女に話しているのだ。この映画が単なるジャーナリストによるインタビューとかルポルタージュとまったく異なるゆえんである。真の友情の証。
フェラーリ/コー3
昨日は京都今出川同志社寒梅館で映画上映三日目。ぼくは授業があったので、途中のトークから参加。ジャクリーヌ、ブリュンヒルド、ぼくというメンバーでのトークだったが、やはりほとんどジャクリーヌが話していた。トークでは話しきれなかったが、『プリズムの色』でのダニエル・コーの映像は、彼(と彼女)がすでに自らの死期を悟った時に撮ったものだと。そして死後にこのような映画を作るという意図がすでにあったという。他にもいろいろな映像があったのだが、やはり余りにも衰弱した姿は残したくなかったらしい。映画で使われた映像もジャクリーヌによれば、すでに病の影がはっきりと写っている。ダニエルが亡くなる数時間前にジャクリーヌに遺した言葉も感動的だ。「毎日、楽しみなさい」Chaque jour, réjouie-toi... まさしく音楽を愛し、人生を愛した、ダニエル・コーらしい言葉だ。この言葉が彼女のその後のささえにずっとなっていると言う。
2011年12月13日火曜日
フェラーリ/コー二日目
昨日は神戸アートビレッジセンターで『プリズムの色……』。ちょっと前に入り、食料など調達。また直前上映の『グレン・グールド』を見る。伝記的なことは興味なかったが、意外と普通の人で、親近感を覚える。さて、ジャクリーヌ映画。トークは柿沼さんとジャクリーヌ、その間でぼくが通訳という形。昨日よりもたくさん人も集まり、とても盛会。字幕も西原さんの努力で画質を維持しつつ、うまく入っていた。(ただ作った本人から言えば、もっといい訳ができたかも。DVDを作ると言うので、もう少し完成形を作りたい。)観客のみなさんの若さ、熱心さに感心(ジャクリーヌも)。松葉氏や石堂さん、青山さんも来てくれた。(太田さんも学生たちを連れて来てくれていたらしい。)しかし本当に今回は下田さんや小島さん、石上君などのおかげでこのように成功できた。感謝感謝である。村上君はまだまだエスコートの仕事が続く。これもありがたい。上映後、神戸駅近くで皆で食事。下田さん、藤枝さん(お初にお目にかかりました)、柿沼さん、ジャクリーヌ、石上君、小島さん、ブリュンヒルド、村上君、岡本君、家内、わたし、というような超豪華(?)メンバー。
2011年12月12日月曜日
フェラーリ/コー第一日
昨日は大阪のコーポ北加賀屋で、フェラーリ/コー映画上映の第一日目。ホテルにブリュンヒルド&ジャクリーヌを迎えに行き、北加賀屋へ。エレヴェーターに気を取られ、出口を間違える。二人を無駄に歩かせてしまった。会場はほぼ満員で、トークと上映無事に終了。会場からの質問など反応もよく、非常に興味を持って注意深く視/聴きしてくれた、とジャクリーヌ本人もたいへんに喜んでいた。キャロサンプの野田さん(初めてお会いした)は、わざわざこの日だけのために東京から。最終新幹線で帰るという、すごい!大倉さんも小路さんも来てくれた。終了後、フランスのお二人、野田さん、村上君、現場撤収後下田さん、小島さんも合流し、食事。
2011年12月10日土曜日
植物など
何だか急に寒くなって来たので、ベランダの植物のうち寒さに弱そうなポトスとガジュマルを家の中に入れる。すでに夜来香とエンジェルズイヤリングは入っている。しかし、ピアノのそばに置くのはよくなさそうなんだよね、植物の湿度が。こうして家の中が徐々にジャングル化するのであった。
今日の昼には元町旧居留地へ出て、子どものスキーウェアのようなものを購入(LL.Beans と Mont Bell)。ルミナリエがあるので、すでにけっこうな人出である。
その前に昼前後には村上君からブリュンヒルドとジャクリーヌを関空で拾った、との連絡。無事に着いてよかった。村上君は彼女たちを大阪グランヴィアまで誘導したとのこと。明日からは(彼女たちも、ぼくも、その他の皆さんも)強行軍である。(大阪、神戸、京都 etc.etc.)
そして夜、さきほどバルセロナの福島さんから El Pont の楽譜とモンポウの未刊歌曲集のCDが届く。
今日の昼には元町旧居留地へ出て、子どものスキーウェアのようなものを購入(LL.Beans と Mont Bell)。ルミナリエがあるので、すでにけっこうな人出である。
その前に昼前後には村上君からブリュンヒルドとジャクリーヌを関空で拾った、との連絡。無事に着いてよかった。村上君は彼女たちを大阪グランヴィアまで誘導したとのこと。明日からは(彼女たちも、ぼくも、その他の皆さんも)強行軍である。(大阪、神戸、京都 etc.etc.)
そして夜、さきほどバルセロナの福島さんから El Pont の楽譜とモンポウの未刊歌曲集のCDが届く。
パンゲ先生墓碑銘
ふと思い出した。サルラ Sarlat にあるモーリス・パンゲ Maurice Pinguet 先生のお墓にはこのような墓碑銘がある。彼自身の言葉である。
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
(試訳:人は一人で死んで行く。しかし、人は一人では死なない。引き裂かれる哀しみだ。)
死ぬ時は一人だが、周りに残された者たちは、引き裂かれるような哀しみに沈む。
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
(試訳:人は一人で死んで行く。しかし、人は一人では死なない。引き裂かれる哀しみだ。)
死ぬ時は一人だが、周りに残された者たちは、引き裂かれるような哀しみに沈む。
2011年12月8日木曜日
2011年12月7日水曜日
貴志康一記念室その他
『貴志康一と音楽の近代』の書評を書き終わり、『比較文学』編集部菅原氏にメールで送る。しかし、けっこう批判的な言辞を弄してしまったので、どういう反応があるか、と気になったりして……。(そんなんなら批判しなきゃいいのに、という影の声が。でもしちゃうんだよねえ。)おぼしき事云はぬは、腹ふくるるわざなれば、云々(^_^)
吉田賞その他
17日が吉田秀和賞の授賞式なのだが、30分のスピーチというのをしなければならない。水戸芸術館の人も言っていたのだが、何か特別なものを皆が期待していると言う。この間、宮澤さんにお会いした時も前の受賞者として、やはり何か普通には見られないヴィデオとか聴かれない録音とかを持って行くものだ、などとも言われ、そんなものを持っていないぼくには、どんどんとハードルが高くなって行くのだった。わ〜〜、どうしよう?ピアノを弾こうとは思うのだが、それ以上の何か「これ」といったものがないのであった。いやはや……。ところで、明日の毎日新聞京都版にこの間のインタビュー記事が載るのだそうです。みなさま(京都のみなさま)ぜひ御覧あれ(ってぼく自身はどこで手に入れたらいいんだろう?学校かな?)
2011年12月6日火曜日
貴志康一記念室その他
昨日は、朝に甲南中学・高校の中にある貴志康一記念室に行って、《交響曲「仏陀」》のスコアを調査、記念室刊の楽譜を購入。石川保則先生、内野順子さんがていねいに対応してくださった。その後、午後は元町で恒例のスペイン語。その後すぐに、北加賀屋へ行って映画上映打ち合わせ、下田さん・小島さん・村上君。なかなかコーポは寒い。また地下鉄駅からの道順をどう指示するかで頭をひねる。その後、下田さん・村上君と梅田に出て、一杯。
2011年12月4日日曜日
2011年12月3日土曜日
マイナー音楽を語る
ゆうべは京都河原町三条の Media Shop というところであった、宮岡秀行・細川周平・渡邊未帆「マイナー音学を語る」に行って来た。大里俊晴について語るというもの。未公開映像ということで1989年に大里さんがパリのスウェーデン館でやった即興演奏のヴィデオ。これはぼくが大学助手に就職してパリを離れてからの映像だと思われ、毎年確か秋か冬にスウェーデン館に住む音楽の学生が「発表会」みたいなのをやったものの一部でしょう。トランペットの映像も他にあるというので、まだマンソン君はパリに残っていたと見える。彼の叔父さん関係で大里さんがフルクサスになった話は彼の本の中にありますね。いろいろな話がある中、大里さんのフェティッシュな面、フェイクな面が強調されたきらいがあるが(もちろん彼が誰にも愛されたというのも含めて)、ぼくとしては彼がものすごく「真面目な」人だったことも語りたかった。学問的に「王道」を行こうとした人だったと。聴衆の中に鈴木創士さん、寺井昌輝さん、鈴木昭男さんもおられました。うち鈴木さんお二人は初めてお目にかかった。(行く道すがら河原町の古本屋で、Rencontres internationales de Genève というのの報告書 La vie et le temps - Les générations dans le monde actuel, La Baconnière, Neuchâtel, 1962 というものを手に入れる。書いているのは、Paul Chauchatd, Jean Piaget, Michel Ralea, Claude Autant-Lara, Louis Armand。800円!)
2011年12月2日金曜日
グレインジャー
昨日は、京都文化博物館で「没後50年記念グレインジャー音楽祭2011」を見た/聴いた。授業があったので前半のドキュメンタリー映画『高貴なる野蛮』は途中からしか見られなかったが、実際のグレインジャーの映像や音(楽)に接することができたのは貴重な体験だった。後半のペネロピ・スウェイツ女史の演奏も素晴らしかった。《シェパーズ・ヘイ》、11歳の時の作品《前奏曲》二曲(すごい!)、《楽しい鐘の音》(バッハの編曲、これも面白かった)、《ストラススペイとリール》、《美しく新鮮な花》、《デリー州の調べ》(ロンドンデリー)、《スプーン・リヴァー》、《?》、《到着ホームの鼻歌》、《婚礼のララバイ》、《ユトランド民謡メドレー》、《植民地の歌》、《ストランド街のヘンデル》と盛りだくさんでした。彼からの影響はきっとナイマンやジェフスキーにあるぞ、と思わせた。アングロ=サクソン系ですかね。バルトークやセヴラックとはかなり違う。宮岡さんや上野さん、細川周平夫妻も来ていた。終了後はロイヤルホテルでレセプション。宮澤淳一さんと初めてお会いし、いろいろ話ができてよかった。
2011年12月1日木曜日
季刊『アルテス』
季刊『アルテス』が届いた。「3・11」特集をざっと読む。一番共感できたのは、ピーター・バラカン。ついでその極端なペシミズムを除けば高橋悠治と、その形而上学を除けば三輪眞弘。他の人達はみんなすごく「芸術」を信じているので、びっくりした。翻ってぼく自身にとって音楽とは何かを考えた。やはり、この辛い生をなんとか生きていくための一手段なのではないだろうか。いや生きている以上必ずついてまわるようなものか。これは「芸術」とも言えないと思うし、「癒し」とも違う。
2011年11月30日水曜日
2011年11月29日火曜日
「クラシック音楽」はいつ……
岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?」(人文書院)読了。いつも思うのだが、日本語の「クラシック音楽」に対応するフランス語はない。La musique classique と言うと、日本語の「古典派音楽」のことになるだろう。苦し紛れに、場合場合で訳し分ける。例えば、la musique occidentale traditionnelle (西欧伝統音楽)とか、la musique sérieuse européenne (ヨーロッパのシリアスな音楽)とか、la musique savante continentale(大陸の学術的音楽)等々。他にも、機能和声法に基づいた18、9世紀の西洋音楽とか。その辺の曖昧さがクリアされていませんね。またここで論じられているのはドイツのことだけだね。ここにフランスや、イギリスや、イタリアや、アメリカなど(中央・東ヨーロッパ諸国も)の事情を加味すると、もっと論に深みが出るだろう。音楽的ナショナリズムの広汎な広がりを考慮すべきだと思う。
Funérailles
神戸バプテスト教会にて、一昨日夜が前夜式、昨日が告別式。A l'Eglise baptiste de Kôbe, la veillée s'est tenue avant-hier soir, les funérailles hier.
2011年11月26日土曜日
岳父
岳父逝去、本日未明1時05分。約四半世紀の身体不随の後、その固い殻を破って自由になった。また同時にモンペリエの友人、ジェフ逝去。哀しみは限りない。Mon beau-père est décédé hier nuit. Aussi Jeff, ami montpelliérain. Tristesses profondes.
2011年11月25日金曜日
20世紀音楽
宮下誠『20世紀音楽 − クラシックの運命』(光文社新書)読了。なくもがな、の感深し。二つだけ学んだこと、一つはカンディンスキーがスクリャービンを好きだったということ、もう一つはカール・アマデウス・ハルトマンが「忘れられたシンフォニスト」だということ。後者については、何年か前の学会で出ていた売店で、ハルトマンのCDを「間違って」買ってしまったことがあったのだった。「グルジェフ/ハルトマン」のハルトマンと間違ったのだ。カール・アマデウスなので「しまった」と思ったのでした。こんな人知らない、と。その他は、もちろん宮下という人は美術が専門のようなので、専門外の人間がこれだけ書けたということに感心すべきなのか、どうなのか。細かい間違いや思い込みがいっぱいあるし。一番気になったのは「中央ヨーロッパ」の呼び方でフランスやドイツを指すこと。違うよね。だって「西欧」というではありませんか?「ドゥビュッシー」とか「アルプレヒト」とか、やっぱり変だ。(これが「本当の」発音に近い、という主張なんでしょうな。カタカナにした時点でもうそんな議論ほとんど意味ないのに。)だいたい、「聴きやすい」20世紀音楽を紹介する、というスタンスも気になり出したら、気になるね。「聴きやすい」ってなんだ?彼が「聴きやすい」というレーガーなんか、とても5分と耐えられませんが。こんな本さえ出版されるのは、日本の出版事情が、なんやかんや言っても、諸外国に比べてまだましということなんでしょうね。
2011年11月24日木曜日
Hispanic Traditions in Twentieth-Century Catalan Music
Richard Paine, Hispanic Traditions in Twentieth-Century Catalan Music : with Particular Reference to Gerhard, Mompou, and Montsalvatge, Garland Publishing, N.Y. & London, 1989, の前半のスペイン民俗音楽の部分とモンポウを扱った部分、少しトルドラとモンサルバーチェの部分を読んだ。ゲラルドについての部分が後半非常に多いがよく知らないので、パス。しかし、これほど明快なスペイン民俗音楽、特にカタルーニャ音楽の説明を読んだことがない。そして、これによってカタルーニャ音楽とモンポウの音楽の間の密接な関係がようやく納得がいった。これはすごい!名著!なのだが、絶版なんだよねえ……。(ぼくは大学図書館の本を読みました。)
パリ・コミューン
H・ルフェーヴル『パリ・コミューン』(河野健二・柴田朝子・西田長夫訳、岩波文庫)読了。パリ・コミューンがその原動力の一つに「地方主義」、「地域主義」をもっていたことを初めて知った。そしてまた同時に地方に(マルセイユ、トゥールーズ、リヨン、サン=テティエンヌ、ル・クルーゾー、ナルボンヌ)コミューンがあったことも。ドビュッシーの父親はコミューンに参加していたので、地方の問題を身近に感じていたかもしれない。そこからセヴラックへの共感への遠因になったと言えなくもないか。
2011年11月23日水曜日
中古レコード・CD
せっかく休日出勤しているのだから(?)と、帰りに北新地で途中下車して、中古レコード・CDを漁る。収穫は:
Jean Français, Concerto for Piano and Orchestra etc.
Gabriel Pierné, Images etc.
Charles Gounod, Mireille (全曲!).
Guillaume Lekeu, Trio in C Minor.
以上がLP。半額セール中でルクーなどは500円ですぞ!そしてCDが:
ミヨー「管楽器とピアノのための室内楽」。
モーツァルトの交響曲(第30、31「パリ」、32、35「ハフナー」、36「リンツ」、38「プラハ」、39、40、41番)でした。CDの方は授業用です。
Jean Français, Concerto for Piano and Orchestra etc.
Gabriel Pierné, Images etc.
Charles Gounod, Mireille (全曲!).
Guillaume Lekeu, Trio in C Minor.
以上がLP。半額セール中でルクーなどは500円ですぞ!そしてCDが:
ミヨー「管楽器とピアノのための室内楽」。
モーツァルトの交響曲(第30、31「パリ」、32、35「ハフナー」、36「リンツ」、38「プラハ」、39、40、41番)でした。CDの方は授業用です。
2011年11月21日月曜日
押韻
またまた『鶉衣』に押韻詩の例が。
木曾路に仮の旅とて別れしが 武蔵野に長きうらみとは成りぬる[留]
呼べばこたふ松の風 消てもろし水の漚(あわ)
わすれめや 茶に語し月雪の夜
おもはずよ 菊に悲しむ露霜の秋
庵は鼠の巣にあれて 蝙蝠群て遊
垣は犬の道あけて 蟋蟀啼て愁
昔の文なほ残 老の涙まづ流
よしかけ橋の雲にかゝらば 招くに魂もかへらんや不
「驢鳴の挽歌」
木曾路に仮の旅とて別れしが 武蔵野に長きうらみとは成りぬる[留]
呼べばこたふ松の風 消てもろし水の漚(あわ)
わすれめや 茶に語し月雪の夜
おもはずよ 菊に悲しむ露霜の秋
庵は鼠の巣にあれて 蝙蝠群て遊
垣は犬の道あけて 蟋蟀啼て愁
昔の文なほ残 老の涙まづ流
よしかけ橋の雲にかゝらば 招くに魂もかへらんや不
「驢鳴の挽歌」
Ici c'est la tranquillité,
Ici c'est la tranquillité,
Bien loin du monde et de la vie,
Comblé de n'avoir nul passé,
Le futur même est oublié.
Ici c'est la tranquillité.
Bien loin du monde et de la vie,
Comblé de n'avoir nul passé,
Le futur même est oublié.
Ici c'est la tranquillité.
Aquí se está sosegado,
Aquí se está sosegado,
Lejos del mundo y de la vida,
Lleno de no haber pasado,
Hasta el futuro se olvida.
Aquí se está sosegado.
Lejos del mundo y de la vida,
Lleno de no haber pasado,
Hasta el futuro se olvida.
Aquí se está sosegado.
Aqui está-se sossegado,
Aqui está-se sossegado,
Longe do mundo e da vida.
Cheio de não ter passado,
Até o futuro se olvida,
Aqui está-se sossegado.
Longe do mundo e da vida.
Cheio de não ter passado,
Até o futuro se olvida,
Aqui está-se sossegado.
2011年11月19日土曜日
中原中也記念館
そして松田屋の目の前には、中原中也記念館が。中也の実家の跡地に建てられたとか。A côté, le Musée Chûya Nakahara.
その隣りは弟中原思郎氏の住居らしい。
いろいろ面白い展示あり。しかし中也と河上徹太郎とか、あるいは西洋音楽との関わり(「スルヤ」、諸井三郎)は興味あるテーマである。そう言えば、吉田秀和『主題と変奏』にも彼が中也とシューマンのコンチェルトを聴く話が出て来る。これこそが昭和初期の日本における西洋音楽の状況の中での本当に面白いテーマと言える。
その隣りは弟中原思郎氏の住居らしい。
いろいろ面白い展示あり。しかし中也と河上徹太郎とか、あるいは西洋音楽との関わり(「スルヤ」、諸井三郎)は興味あるテーマである。そう言えば、吉田秀和『主題と変奏』にも彼が中也とシューマンのコンチェルトを聴く話が出て来る。これこそが昭和初期の日本における西洋音楽の状況の中での本当に面白いテーマと言える。
湯田温泉
Station thermale Yuda-onsen à Yamaguchi.
老舗松田屋ホテルに宿泊。A l'hôtel Matsuda-ya.
老舗松田屋ホテルに宿泊。A l'hôtel Matsuda-ya.
江戸時代に開業ということで、幕末の薩長連合などの密議が行われたとか。坂本龍馬や高杉晋作などが泊まったらしい。日本庭園が見事でした。L'hôtel, ouvert avant la restauration de Meiji, est sorte de site historique, où les personnages importants de l'époque, comme Ryôma Sakamoto et Shinsaku Takasugi, se logeaient souvent. Son jardin japonais est splendide.
2011年11月17日木曜日
関西
東京の人間が関西に生活して感じるエグゾティスム。これと似た感覚は日本人としてパリに住んでいた時にも感じていた。デラシネ?先日海老坂武先生にジュール・ヴァレスの小説には「根こぎにされた人々」という定訳があると指摘された。もちろんぼくはそれを知ったうえで、「失郷者」の語を借りたわけだが、確かにその辺のいきさつを察させるように書くべきだったと思う。(もう一つの彼の指摘は「ブルク・アン・ブレス」の発音。)
2011年11月16日水曜日
北海道新聞
北海道新聞読書欄「著者コーナー」の取材。12月初めに出るとのこと。記者の関さんという方は自分もチェロを弾き、室蘭出身(!)の小林義武先生や東大オケのトップだった鮎川という人とも知り合い。これは今村君に訊かずばなるまい。その後は、山のようにある教育実習生の教育実習簿を見て、これからは教授会です、いやはや……。(おお、紀要投稿論文査読結果を書くのを忘れた!)
コロンブスの犬
管啓次郎『コロンブスの犬』(河出文庫)読了。22年前に書かれたなんて信じられない。ほとんど昨日に書かれたように新鮮。このような彼の超かっこいいスタイルにぼくたちはいかれてしまったのだった。今ふと思い返して、『セヴラック』にその影響があるのかもしれないと思った。(ああ、恥ずかしい。)しかしぼくは決して管さんのような旅人にはなれない。なぜなら一人でレストランに入ることもできないほどだから。いや、サン=フェリックスでセヴラックの子孫の人に会う、というような「仕事」がある場合は別ですよ。それともう一つ。外国語をならう時には人はみな中学生になる、というのに同感。今ぼくはスペイン語を習っているが、実に楽しい。
打楽器アンサンブルコンサート
同志社女子大学音楽学科打楽器専攻生による「第22回打楽器アンサンブルコンサート」(京都府民ホール・アルティ)に行って来た。曲はPowell, the Gilded Cage、西原大樹《ジムナスティック・ゲーム》、Reich, Drumming、Cage, Third Construction、Zimmer, Fragile、武満徹《四季》。一曲目には間に合わなかった。西原作品は曲の作りが全く伝統的・和声的(リズムも)なので、音程が曖昧な打楽器で演奏する意味がよくわからない。ライヒとケージはみなよく頑張った。ドラミングの第二部だけだったけれども、よく練習してあって(もう少しずれが聞き取れればよかったが)、ライヒ本人に見せて(聴かせて)やりたいくらい。ツィンマーはきれいな曲。低音の響きがよかった。武満は視覚だね、面白い。特に大阪万国博で初演をした山口恭範先生のコメントがあったので余計興味が増した。アンコールの《ボレロ》は圧巻でした。やはり打楽器科のレヴェルはなかなかですな。
2011年11月14日月曜日
スコラ2
録画しておいた2週間前のNHK-Eテレ『スコラ』を見た。印象派の二回目。《牧神の午後への前奏曲》と《海》の中の増四度に注目するところなど、ぼくも授業で全く同じことをやっていて、目の付けどころが一緒だなと思いました。「水のテーマ系」というのも。しかし、ピアノ二台版の《海》は知りませんでした。いいですねえ。ぼくは授業ではピアノ一台版の楽譜を使います。表紙が初版と同じだし、やはり構造がよくわかる。実際の水を使ったワークショップでは、アフリカのウォータードラムとかマルセイユの電子音楽作曲家ルドルフィのプール内での作品なども参考として挙げられるのでは、と。
2011年11月13日日曜日
ゆみさんのシューマン
昨日は、大阪南森町のモーツァルト・サロンで奈良ゆみさんのフォーレ《イヴの歌》とシューマン《エリザベート・クルマンの歌》、《メアリー・スチュアートの歌》他を聴いた。伴奏は谷口敦子さん。どちらも作曲家晩年の実に「渋い」作品である。前半フォーレ、後半シューマンだったのだが、やはりこの二人の作曲家を同時に歌うのは難しい。特にピアノは全く違うので、極端なことを言えば、それぞれの作曲家に違うピアニスト(いやピアノそのものさえ)を使った方がいいと思われたくらいだった。しかしゆみさんのフォーレはいつもどおり、としても、なかなかそのシューマンのドイツ語が子音のはっきりした動きで魅力を出していた。
2011年11月12日土曜日
2011年11月10日木曜日
A Study of Catalan Composer Federico Mompou's Música Callada
Ann Zalkind, A Study of Catalan Composer Federico Mompou's (1893-1987) Música Callada, The Edwin Mellen Press, 2002 を読む。前半はモンポウに影響を与えた作曲家として、Scarlatti、Soler、Schumann、Chopin、Liszt、Albeniz、Granados、Falla、Satie、Debussy、Les Six が挙げられ、それぞれのある作品とモンポウのある作品の似ている点が論じられる。しかしこれが単なる判じ物というか当て物というか、何となく似ている程度なので、おやおや感。その上なぜ似ているかの論が全くない。ブラームスも言っていましたよね。「単に似ているだけだったら、驢馬だってわかる」って。そして後半は Música Callada 各曲の分析めいた記述。これって楽譜が読めれば、それでおしまいじゃない?これでニューヨーク市立大学の博士号を取ったんだったら、大したことないね。参考文献もほとんど英語のものだけで済ませている。なんじゃこりゃ?
RSS Graffiti
見てみたらこんなアナウンスが。
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2011年11月9日水曜日
毎日
毎日新聞の取材を受ける。セヴラックのこと(本とか吉田賞とか)その他について。しかしいつ出るのかはわからないと言う。うーむ……。そう言えば、明日に出る『週刊新潮』にちょこっと書いたものが載るはず。
2011年11月7日月曜日
11.11.11
今日の晩ご飯は神戸中華街、南京町のシュウマイ(ただし冷蔵もんではありますが)。ふと見ると、日付に「1」が見事に並んでいるではありませぬか。
それだけの話でございます。C'est tout, voilà.
2011年11月5日土曜日
元町ファミリア
今日は雨の中、元町のファミリアに娘たちの冬オーヴァーコートを買いに。おばあちゃんのおごりであります(感謝)。帰りには、すぐそばのにしむらコーヒーでお茶。子供たちはアイスクリーム。私は例の大きなシナモン付きカプチーノで(以前の写真再掲)。
2011年11月4日金曜日
貴志康一と音楽の近代
梶野絵奈他編『貴志康一と音楽の近代』(青弓社)読了。前のブログにも書いたが隔靴掻痒。これは何かと考えたのだが、多分筆者たち(これは論文集)がみんな貴志康一に「冷たい」からだろう。外側から客観的な基準となる物差しをもってきて、いろいろな点(ヴァイオリンとか作曲とか、随想とか歌曲とか映画とか、果ては「天才」性まで)について、彼を「身体測定」しているのだ。まあこの手つきも科学的「音楽学」的には必要なのかも知れないが、どうもこの特異な音楽家を描き出すのには足りないようだ。また、彼の作品についての分析が極端に少ないのも気になる所。作曲家であるなら、その作品に語らせて欲しい。要は貴志の何を描きたいのかというところだね。
金木犀再び
今朝何気なく見たらまたまた金木犀が咲き出しています。
驚きました。一度全体が咲いて、散った後なのに。ただ、その後姿が悪かったので(強風で何度か倒れた)ちょっと剪定をしたのでした。それが刺激となったか……?
隣りでは夏の間枯れたようになっていた菊がけなげに咲き出しました。
驚きました。一度全体が咲いて、散った後なのに。ただ、その後姿が悪かったので(強風で何度か倒れた)ちょっと剪定をしたのでした。それが刺激となったか……?
隣りでは夏の間枯れたようになっていた菊がけなげに咲き出しました。
2011年11月3日木曜日
貴志康一
書評を頼まれて『貴志康一と音楽の近代』を読んでいる。全体にそつなくまとまっているが、何だか隔靴掻痒感が残るのはなぜ?ゴチェフスキ論文は、日本近代音楽にメロディとハーモニーの齟齬があるので、この二要素の「同一化」(アイデンティファイ)ができていないのが、日本音楽の「自己同一性」(アイデンティティ)の問題点だ、となっている。本当か?そんな「簡単な」ことか?
2011年10月31日月曜日
Yumi Nara chante Séverac
ゆみさんの歌ったセヴラックCDについてのフランスの新聞記事をピエール・ギヨー先生が送ってくださいました。ありがたや……。
Voici l'article français relatant les activités de Yumi Nara, surtout concernant notre CD Séverac, envoyé obligeamment par le Professeur Pierre Guillot.
Voici l'article français relatant les activités de Yumi Nara, surtout concernant notre CD Séverac, envoyé obligeamment par le Professeur Pierre Guillot.
『主題と変奏』
吉田秀和『主題と変奏』を読み直す。(もちろん賞を頂いたからでありますw。)確かに当時の音楽批評の質を格段と押し上げたんだろうなあ、と感心。最初に読んだ時はそんな時代的なことは考えもしなかったから。変なディテールに反発したりして。しかし今回これもまたよし、と。しかし、中原中也と一緒にシューマン協奏曲を聴いていたというのは再発見!「汚れっちまった悲しみに黄色い戦争ありまして波も少しはあるでしょうホラホラこれがぼくの骨だetc. etc.」
2011年10月30日日曜日
スコラ
NHK-Eテレの坂本龍一『スコラ』(毎週土曜夜11時から)を見た。昨日は印象派第一回。うまくドイツ風構築的音楽とフランス印象派音楽の違いを説明してくれていて、授業にでも使えそうだなと思った。ガムラン実際体験はとてもよいですね。これは同女の授業ではできないなあ。ぼく自身が芸大に紛れ行ってガムランを叩いたことを思い出しました。其他雖在所思不言而華也。
PS:Je t'ai vue, Momoka ! Bravo, bien joué !
PS:Je t'ai vue, Momoka ! Bravo, bien joué !
2011年10月29日土曜日
2011年10月26日水曜日
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ただいま会場である日仏会館でのリハーサル終わったところ。しかし日仏会館で十分に宣伝されなかったのか、会館当局もなんと奈良ゆみさんまで「入り」が悪いのではないかと気にしています。というわけで、再び宣伝。
10月28日(金)19:00より「セヴラック歌曲とシャンソン」(ソプラノ:奈良ゆみ、ピアノ:椎名亮輔)於:東京日仏会館ホール(恵比寿)
皆様お誘い合わせの上、おいでください。
10月28日(金)19:00より「セヴラック歌曲とシャンソン」(ソプラノ:奈良ゆみ、ピアノ:椎名亮輔)於:東京日仏会館ホール(恵比寿)
皆様お誘い合わせの上、おいでください。
L'avant-garde musicale à Paris de 1871 à 1939
Michel Duchesneau, L'avant-garde musicale à Paris de 1871 à 1939, Mardaga, 1997 を読んだ。著者はカナダ在住のオーボエ奏者だそうだ。1994年に Université Laval に提出された博士論文。ラヴァル大学というのはカナダ最古の大学のようですね。知らなかった。これまで国民音楽協会(la Société Nationale)や独立音楽協会(la Société Musicale Indépendante)については、まあそこそこ知識はあったけれど、その後に活動していた二つの団体、セレナード (la Sérénade)とトリトン(Triton)というのはよく知らなかったので、面白かった。しかしちょっと似たような(あるいは全く同じ)記述が多過ぎる。これはワープロのコピペの弊害ですね。これから頼まれて、戦前ドイツで活動した貴志康一についての本の書評をしなければならないのだが、同じ頃のこれらフランスの音楽団体の中にも一人日本人の名前があって驚いた。1922年2月2日の独立音楽協会のコンサートに、Yoshinori Matsyama という人の des chansons populaires japonaises が演奏されたというのだ。だれ?
2011年10月24日月曜日
奇談異聞辞典
柴田宵曲編『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫)読了。読み終わるのがもったいないくらいでした。素晴らしい!「共同幻想論」は全然、『遠野物語』だけに依拠する必要がなかったわけだ。日本中、共同幻想だらけである。
いまどきフランス音楽コンサート
そしてルドン展の後は「いまどきフランス音楽コンサート」と題された森本ゆり(Pf)・畑中明香(perc)・改發麻衣(perc)さんのコンサート。後二者は同女打楽器の卒業生。曲はエマニュエル・セジュルネ《火をお持ちですか》、アラン・ゴーサン《アルカーヌ》、 クセナキス《プサッファ》、ティエリー・ド・メー《机の音楽》、ジョルジュ・アペルギス《ル・コール・ア・コール》、モーリス・オアナ《エチュード12》(それぞれ原題:Emmanuel Séjourné, Vous avez du feu ?, Allain Gaussin, Arcane, Iannis Xenakis, Psappha, Thierry De May, Musique de tables, Georges Aperghis, Le corps à corps, Maurice Ohana, Etudes d'interprétation XII)。なかなかの熱演であった。クセナキスやアペルギスを暗譜で演奏するなど結構がんばっているな、との感。後はフランス語をもう少し頑張ろうね。セジュルネとドメーは初めて聴く作曲家(名前も曲も)。ケージや実験音楽系の影響が明らかで面白い。でもきちんと構成された音楽になっているところが「ヨーロッパ」なんでしょうね。机を手で叩いたり擦ったりするするだけでカノンをするところは「伝統」!かな?
成田先生も来ていたけれど、ぼくは細川周平さんを誘ったのだった。彼は嵯峨で念仏狂言を見て来たと言って遅れて来た。コンサート後は三人でぶらぶら帰り、成田さんは帰宅。周平さんとぼくは「受賞祝い」ということで、彼の行きつけの天ぷら「有馬」へ。非常においしかった。天ぷらは言うまでもないが、宮崎出身の御主人の裏メニュー「冷や汁」に感激!
成田先生も来ていたけれど、ぼくは細川周平さんを誘ったのだった。彼は嵯峨で念仏狂言を見て来たと言って遅れて来た。コンサート後は三人でぶらぶら帰り、成田さんは帰宅。周平さんとぼくは「受賞祝い」ということで、彼の行きつけの天ぷら「有馬」へ。非常においしかった。天ぷらは言うまでもないが、宮崎出身の御主人の裏メニュー「冷や汁」に感激!
ルドンとその周辺
京都駅の「えき」美術館に「ルドンとその周辺」展を見に行った。わざわざ行ったのでなくて、その後のコンサートの前にちょっと時間があったので寄ったのでした。やはりいつみてもルドンの作品はどれも味がある。しかし発見もあって、展示作品の中にはリトグラフが多かったのだが、中にいくつか献辞が書き込まれているものがあって、オクターヴ・モース宛があった。説明ではベルギーの「二十人会」を組織した、としかなかったが、彼こそが「自由美学」演奏会シリーズの立役者である。ダンディをはじめ、セヴラックなどスコラの作曲家たちの多くの作品がここで初演された。今度出るアルテスの雑誌にルドンとセヴラックの関係について書いたけれども、ここでも間接的に彼らの関係が明らかになっている。もう一つの発見は、ギュスターヴ・モローからのルドンへの影響。オルフェの絵があって、それがまさしく竪琴にオルフェの首が乗っているというモローと同様の構図。しかしこれはそのようなイコノグラフィーが他にもあるのかも知れない。
モローのオルフェはこう。実はぼくはこれのカルコグラフィーを持っていて、家のプレイエルの下の壁に立てかけてある。
2011年10月22日土曜日
奈良ゆみさんインタビュー
セヴラックCDでソプラノを歌ってくださった奈良ゆみさんのインタビューがYouTubeにアップされていました。
http://www.youtube.com/watch?v=Qb6Fne-Ep-4
録音時のエピソードなど興味深い話を聞くことができます。
2011年10月20日木曜日
カウール・ダスプリー
セヴラック研究のもうひとりの権威(ギヨー先生と並んで)ジャン=ベルナール・カウール・ダスプリー氏と連絡がつく。なんでも資料は持っているので、協力は惜しまない、と言ってくれた。今後の研究補遺の貴重な助っ人になってくれそう。
2011年10月17日月曜日
ラジオ出演
生まれて初めてのラジオ出演。昨日東京半蔵門にあるFM東京で収録。放送についての詳細はこちら。
トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ
ゲスト:椎名亮輔 聴き手:田中美登里
テーマ:デオダ・ド・セヴラック/南仏の風、郷愁の音画
10月23日(日)5:00~5:45 TOKYO FM&radiko.jp(インターネット首都圏限定)
10月22日(土) 28:00~29:00 K-MIX(FM静岡)
10月23日(日)10:00~11:00 MUSICBIRD Cross Culture(11-1)
10月24日(月)23:00~24:00 MUSICBIRD Cross Culture(11-1)
MUSICBIRD THE CLASSIC
「ウィークエンド・スペシャル」~デオダ・ド・セヴラックCDコレクション①
12月4日(日)18:00~24:00 再放送12月10日(土)12:00~18:00
ゲスト:椎名亮輔 (音楽トータル・タイム 4時間半~40分)
MUSICBIRD THE CLASSIC
「ウィークエンド・スペシャル」~デオダ・ド・セヴラックCDコレクション②
12月11日(日)18:00~24:00 再放送12月17日(土)12:00~18:00
ゲスト:椎名亮輔 (音楽トータル・タイム 5時間半~40分)
MUSICBIRDはTOKYO FMグループの高音質CS衛星デジタルラジオ。
クラシック、ジャズなどジャンル別に多数のチャンネルがあり、
これを聴くには専用のチューナーとアンテナが必要。
お問合せは03-3221-9000
昨日は日曜日ということで、駐車場脇の裏口から入場。収録は4階の小さなスタジオで。入り口がわからず、田中さんに電話をして正面に迎えに来てもらった。録音は武藤智子さん。少し遅れてアルテスパブリッシングの木村元さんも到着。スタジオからは真下に皇居が見え、遠くには例のスカイツリーまで見えた。肉眼で見るのは初めてだ。打ち合わせをした後、すぐに録音。田中さんの巧みなリードで、多少吃りつつも(笑)無事に三種類の番組を収録。しかし、話していると突然大事な単語をど忘れしたりするものですね。いやはや……。終わる前から、吉田秀和賞の授賞式などの相談をするために、水戸芸術館の藤井さんと大津さんが来ていた。収録終了まで木村さんが相手をしてくれていた。そして、終了後彼らといろいろと話をして、田中さんに挨拶をしてFM東京を出る。近所の喫茶店で木村さんと話をした後、目黒に移動。奈良君と関口君に久しぶりに会う。何と奈良君は目黒駅前に二つも事務所を持っていると言う。そして今日は朝から神戸に帰還。少々疲れました。
2011年10月15日土曜日
2011年10月13日木曜日
2011年10月11日火曜日
さかしま
ユイスマンス『さかしま』(澁澤龍彦訳、河出文庫)を読み返す。彼とセヴラックはパリのルドンの家で知り合ったのだった。けっこう彼らの共通点があって、特にラテン文学とカトリックの教養は興味深い。ユイスマンスがこんなに多くラコルデールについて言及していることは覚えていなかった。ラコルデールは、セヴラック(のみならず彼の父や叔父も)が卒業したソレーズ士官学校の創設者(というより中興者)の一人である。
2011年10月10日月曜日
ハーブ園
布引の滝の後には、ハーブ園へ。けっこうな人出であった。ドイツフェアというのもあって、ドイツビールが飲めると期待したが、あっさりはずれ。すべてドイツ製品は売り切れ。仕方なくアサヒビールを飲む。それでもやはり絶景のまえで飲むビールはうまい。ハーブエキスなど求め、ぶらぶら園内を降りて行く。いつも気になるのがこの花。
Guerlain L'Heure blue に使われているらしいが、要確認。その他、ラヴェンダーはまったく枯れていたけれど、セージの類いがきれいに咲いていました。
Guerlain L'Heure blue に使われているらしいが、要確認。その他、ラヴェンダーはまったく枯れていたけれど、セージの類いがきれいに咲いていました。
そしてもちろんコスモス。
布引の滝
布引の滝に行って来た。新神戸駅の一階から駅舎の下をくぐって、山の方へ登って行くのである。まずこんな道標が。
それを越えて橋を渡るとすぐにどんどんと上り坂になって行く。すぐ見えて来るのが雌滝という。
それをまた過ぎてどんどん登ると、階段やら坂道が急になって続いて行くが、それもこの流れの削った渓谷の中なので薄暗い。そしてしばらく行くと雄滝に到着。
これは下の雌滝に比べて規模も何倍も大きく、非常に高い所からいく段にもなって水が落ちて来る。滝壺を眺める場所の左手奥には不動を祀った場所があり、その手前に「涙石」があり「行平」の文字も読める。これは在原行平の歌「こきちらすたきのしら玉拾ひおきて 世のうきときのなみたにそかる」にちなむらしい。(写真は縦になっています。)
2011年10月9日日曜日
Acousmatic Concert
「関西の電子音楽の現在形」(同志社大学寒梅館)に行って来た。同志社女子大音楽学科の先生たちの作品を集めたもの。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
2011年10月7日金曜日
eRikm & Luc Ferrari, Visitation
J'ai écouté eRikm & Luc Ferrari, Visitation, que Brunhild m'a donné ce été. C'était bien, ça me fait penser à beaucoup de choses : relations entre le dehors et le dedans, relations entre Luc et eRikm, et aussi relations entre ces choses-là et moi, écouteur pas très innocent... etc. etc. エリケムのこの作品『ヴィジタシオン』はフェラーリの『ほとんど何もない第二番』と彼の録音をミックスしたものだ。さまざまな関係性が絡み合って非常に面白い作品に仕上がっている。
歌曲CD
そうそう言い忘れていたが、音楽の「内」(『狂気の西洋音楽史』)と「外」(『セヴラック』)の間を繋ぐのが、ゆみさんと録音した歌曲のCD(『セヴラック:歌曲と古いシャンソン』)ということ。つまり「歌」であり、「実践」である。
2011年10月6日木曜日
音楽のカルチュラル・スタディーズ
マーティン・クレイトンほか編『音楽のカルチュラル・スタディーズ』(若尾裕監訳、アルテスパブリッシング)読了。ぼくが普段から考えていることと余り違わないことがほとんどであった。しかし、自分の考えを考え直してみるいい機会にはなって、結局『狂気の西洋音楽史』は「西洋音楽」の「内側」からの、『セヴラック』は「外側」からのアプローチであるということに気がついた。その他にも、この二著は、さまざまな点で補完し合っている(内と外、客観と主観、学問的語りと小説的語り、等々)。その他には、一点、音楽心理学という学問がそれほど当てにならないものでもなさそうだ、ということ。でもどうかなー……。
2011年10月5日水曜日
Trans World Music Ways
FM東京の番組「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」の田中美登里さんからセヴラック特集をやるのでゲスト出演してくれないか、と。23日(日)に放送予定らしい。みなさん聴いてくださいね。Midori Tanaka de Trans World Music Ways (FM Tokyo) m'a invité de parler de Séverac dans son emission. Elle sera diffusée le dimanche 23 octobre.
人間ドック
人間ドックに行って来た。これがストレスで、病気になりそうです、これって?
Le check-up : c'est très stressant, tellement que ça me rend malade...
Le check-up : c'est très stressant, tellement que ça me rend malade...
2011年10月1日土曜日
高橋聖子パイプオルガンコンサート
高橋聖子パイプオルガンコンサートを新島記念講堂で聴いた。曲目はバッハのヘ長調の《トッカータとフーガ》、クープランの《修道院のミサ》よりいくつか、リストの《BACHの名による前奏曲とフーガ》、休憩を挟んでアランの小曲二曲とヴィドールの《交響曲第5番》。やはりクープランはいいですなあ、独特の雰囲気がある。少し彼の Leçons de ténèbres を思わせる部分もあり。ヴィドールはやはりなくもがな、かな?でも第二楽章の中間部でなんと!「待ちぼうけ」の前奏が聞かれますぞ!
金木犀2
と思ったら、自宅ベランダの金木犀も香っているので、よーく見たら咲いていました。
でもこれはこの一ヶ所だけなんです。他の場所はまだまだ固い蕾なので、何だか変な感じです。これもまた異常気象の結果か?他の大部分の枝はこんな感じの蕾(でさえない芽)。
でもこれはこの一ヶ所だけなんです。他の場所はまだまだ固い蕾なので、何だか変な感じです。これもまた異常気象の結果か?他の大部分の枝はこんな感じの蕾(でさえない芽)。
2011年9月30日金曜日
金木犀
大学の入り口近くで良い匂いがし始めました。通るたびにどこかな、と探していたのですが、今日やっと見つけました。けっこう大きな金木犀の樹です。写真では小さな個々の花はわかりにくいですね。
フランス語では辞書によれば、olivier odorant とかなっていますが、どうかな?木犀とはオリーヴなのだろうか?学名は Osmanthus fragrans というようですが、Osmanthus が木犀のようですな。その上位分類が Oleaceae で、この中にオリーヴも含まれるようだ。
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